複雑性PTSD、うつ、過敏性腸症候群(IBS)のきらめき日記

生きにくさはあるけれど、キラキラしたものも見つけてやっていこうよ、自分の人生。鬱と過敏性腸症候群を抱えてます。

最近笑ってない。

笑顔が作れない。

洗面所の鏡の前で口角を上げて笑顔を作る。

嘘くさい。

心が笑ってないからだ。

鏡にはいつも不安そうで、諦めたような顔の私が写る。

私はもう心から笑えないだろう。

あまりにも多くの裏切りや蔑みにあったから。

もう人を信じられないかもしれない。

私は人が好きだったのに。

家の中の状態はひどかったけど、外に出れば友達がいて、私はそんな日常が大好きだった。

友達に囲まれていつも笑顔になれた。

人が好き。

外ではきちんと評価される。

そんな人達に裏切られた。

蔑みと嫌悪と。

居心地がよくて、いつも笑っていられた世界がもう違って見える。

私の家を見に来て噂を立てた人達。

私に出くわして逃げた人。

極端に痩せて入院した時、顔が変わってしまった私を嬉しそうに盗み見た人。

何年も親しくしていたのに、立てられた噂を確かめにこっそり私の家を見に来た友人。

その事実に気付いてから、彼女達が私の部屋に勝手に上がりこんでいる夢を見る。

私はもう心から笑えないのだ。

外の世界を信じていたのに。

私はお人好しだった。

ナメられていた。

気付かなかった。

人がそんな真似をするなんて考えたこともなかった。

今私は一人で、テレビも見ない。

世間に興味がなくなった。

私の前には生活だけがあって、それをこなして行くだけだ。

先生がいることが少しの希望。

現実の世界にいる私の理解者。

先生だけはいつも変わらず私の本質を見てくれる。

先生は私がよくなることを願っている。

私はそんな先生の希望になかなか向き合えない。

素直になれないのだ。

なんで私だけこんな目に遭うの?

なんで私ばっかり。

なぜ私がよくならなきゃならないの?

もう十分やってきたじゃないか。

まだ力を出せっていうの?

「なんで」は尽きない。

しかし私は確実に良くなってきている。

福祉のアシスタントさんはもう十年も私を支えてくれている。

そんな人達に支えられてここまできた。

今は日常の中に具合の悪さがあるけれど、以前は具合の悪い中に、それ以上に具合の悪い時があった。

今は日常という名の毎日がある。

アシスタントさんが辛抱強く私の話を聞いてくれ、いつも励ましてくれた。

彼女のおかげで今の私がある。

そんな彼女や先生がいる外の世界には、まだ他に魅力的な誰かがいるかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

予感

洗面所とトイレの電球が切れたので交換した。

トイレのタンクで異音がするので水道工事の人に見てもらったら、タンク内の部品が劣化していたそうで、部品を新しい物に交換してもらった。

そろそろ皆寿命なのだ。

この部屋に以前暮らしていた人の生活の痕跡が消えて行く。

そして完全に私の生活に切り替わる。

私はこの部屋で私の生活を謳歌しよう。 

 

最近エンジェルナンバーというものを知ってから、数字に目が行くようになった。

何時何分。

YouTubeの視聴回数。

グッドボタンの数。

いたるところに数字は存在する。

この前東京に行った帰りに乗ったバスが205系統だった。

バスが発進して前方に目をやると、斜め右に止まった車のナンバーが205。

一日を祝福してくれている気がする。

ゾロ目や繰り返しの数字を見ることが多くなって、そんな時は何かに応援されている気がする。

 

このところ髪が薄くなってきたのが最大の悩み。

毛量が多すぎるのが悩みだった私が、薄毛に悩まされるなんて。

うつでお風呂に入る回数が減ってしまったのと、たぶん更年期のせいだろう。

女性ホルモンが出ていないのだ。

男性ホルモンが上回ってきたのだろうか。

女は女を諦めると、恥じらいをなくし、厚かましく身勝手になる。

歳を取るほど上品であれ。

 

女性ホルモンに似た働きをする「エクオール」という物質は、日本人女性の二人に一人しか出ていないそうだ。

薬局で検査キットを購入して検査をしたところ、私には出ていなかった。

ショックだ。

根拠なく私には出ているだろうと思っていた。

しかし希望はある。

クオールが出ていない状態でこの薄毛だとしたら、エクオールを摂ればいくらかマシになるかもしれない。

クオールを含む大豆を、乳酸菌で発酵させて作ったという「エクエル」という食品を早速買ってきた。

この「エクエル」。

見た目はサプリと同じだが、区分は「食品」ということだ。

しかしスーパーではなく薬局で売っている。

購入してから祈るように飲んでいる。

 

更年期の五十代。

イライラする時もあるし、薄毛は怖いし。

だが、若い頃よりずっといい。

私の人生はこれから始まる。

 

そんな予感がしている。

 

 

 

  

 

 

 

 

ある夜

洗面台の鏡に写った私はとてもきれいで。

50を過ぎた女とは思えない。

前髪を下ろしたら、ほら50代にはとても見えない。

愛らしい顔。

10代の頃とさほど変わっていない顔。

肌は白くてなめらかで、肌診断のアプリではキメとシミ(なし)の評価が100点満点中97点。

50代の女性で、ここまでキメが細かくて白い人はまずいないだろう。

もともと色白で、学生時代はそれがコンプレックスでもあった。

今はそれに輪をかけて、スキンケアに励んでいる。

スキンケアが趣味である。

スキンケアは私のマインドフルネスとなっている。

私こんなにきれいよ。50代には見えないほどよ。

 

早朝ゴミを出す時、近所の主婦らしき女性を見た。

50代くらい。

分別を知った大人の女性の横顔をしていた。

子供を産んで育て、そこにはきっと家庭というものがあるのだろうと想像させる、思慮深そうな女性であった。

私と同年代。

充実した月日を重ねてきた年輪が顔に現れていた。

小さくて、足元もおぼつかなくてヒョロヒョロした私。

女性は歳月の年輪をしっかり重ねて、ちゃんと50代の顔をしている。

クラっとした。

この充実して落ち着いた、主婦に見える女性にハッとした。

この人に比べて、私はなんだろう。

何も経験を持っていなくて、これからもどう歳を取って行けばいいのか、わからない私に比べてどうだろう。

この人の落ち着き。安定感。

きちんと歳を取ったおばさんの顔をしている。

置いて行かれた。

私の心は10代のままだ。

記憶と存在はそのままに。

私と同年代の女性たちは、私が若く見えて、羨ましいと思うだろうか。

口ではそう言っても実際にそう思うだろうか。

 

私はまだ誰も足跡をつけていない大地の雪のようにまっさらだ。

444

先週、東京の診療所に行って来た。

夏真っ盛り。

駅から診療所に向かう道中、今年初めて日傘を差した。

思い思いの日傘を差して歩く女性たち。

最近、日傘に夢中な私は、どうしても皆が持つ日傘に目がいってしまう。

何気なく差しているように見える日傘も、女性たち一人ひとりが、熟考に熟考を重ねたものなのだ。

日傘の繊細さは女心をくすぐる。

白に黒。柄もの。刺繍にレース。

自分のお気に入りの日傘を差して歩くのは楽しく、気分が高揚する。

金魚の日傘を差して歩く若い女性を見た。

かわいらしい。

金魚なんて夏しか持てないが、それでも金魚の傘が欲しい女心。

 

先生の所に着いたら患者さんは誰もいなくて、すぐ先生に呼ばれた。

今日、外はすごく暑いでしょ?と先生。

日傘差してきました。

お薬の話をして、十分位でもう終わり。

それはない。

「私片道二時間かけてここに来たんですよ。

それはない」

「予約してから来て下さい。

お薬外来ってそういうものです」

受付で初めて次回の予約をした。

先生の思うつぼ。良くなってきたし、先生は私に来て欲しいのだ。

 

先生の所を出て、駅までの道を戻る。

途中でコンビニに入って、サンドイッチとスイーツを買って、レジ袋を買ったら、

444円であった。

キターー!!(≧▽≦)

三桁のゾロ目。

しかも4!

最近の私のラッキーナンバーなのだ。

いいぞ。

きっといいことあるって嬉しい予感🎶

 

いつもより時間も早いし、デパートに日傘を見に行こう。

本当に最近、日傘のことばかり考えている。

今回、ネットで購入したが、デパートではどんな日傘を置いているんだろう。

デパートに向かう途中、宝くじ売り場があった。

とっさに「4」を思い出した。

う、これは来るかも!

きっと来る!

4だ!

私はナンバーズなんてやったことないし、どうすればいいかも何もわからないけど、やってみることにした。

とにかく4なのだ。

最近よく見かける4。

宝くじ売り場のおばさんにやり方を教わって、マークシートの4を三つ塗りつぶす。

444だ。

それを4つ購入。

とにかく4。

抽選は毎日。今日は夕方6時発表になります。

スマホで抽選結果を見れるそうだ。

 

久しぶりのデパート。

嬉しい。

数年前に来た時よりうんと良くなってる。と実感できることも嬉しい。

傘売り場を探して、日傘をたくさん見て。

なるほど。

5、6千円出せばけっこう有名ブランドの晴雨兼用の日傘が買えるのか。

私の7千円の白い日傘は他の傘に引けを取らないぞ。

シューズにストールに雨傘に…

婦人雑貨売り場をじっくり見て。

刺繍入りのハンカチとベルトを買った。

 

ジュースのお店でびっくりするほど酸っぱいブラッドオレンジジュースを飲んだ。

パン屋でパンを買い込み、エコバッグに詰めたらパンパン。

薬局にも寄って、ほうほうの体で帰宅。

 

夜。

やっと落ち着いた頃、思い出した。

宝くじ買ってたじゃん!

当たるわけないやろ。

いや、当たってたら?

そんなん天と地がひっくり返るわ。

スマホを取り出して、今日の抽選結果は、

 

 

941。

444かすりもせず。

やっぱり。

しかも4口全部941?

何もわからなかった初ナンバーズ。

知ってから思う。

941なんて当てられるわけがないやん。

 

「444」のゾロ目はスピリチュアルの世界ではエンジェルナンバーと呼ぶそうだ。

最近444に出会うことの多い私の金運は、

 

[宝くじより自分への投資が大切]

「444」が示す金運は、宝くじのようなギャンブルによる収入ではありません。

一時的なものではなく、継続的にスキルアップのような自分への投資を行うと運気が上がり、よい流れが生じるでしょう。

 

444に諭されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

もう大丈夫だよ。

もう十分だよ。

もういい加減かわいそうだよ。

私は十分苦しんだよ。

 

フラッシュバックを起こす回路をまた辿りかけそうになった時、私は自分にそう言い聞かせる。

もう十分振り返ったよ。

もう十分納得したよ。

もう十分だから、もう振り返らなくて大丈夫だから。

私は十分振りかえって苦しんだんだ。

だからもういいよ。

もう大丈夫だよ。

 

そうして、考えをストップさせる。

私はこの十数年、ずっとフラッシュバックと解離の真っ只中にいたけれど、今はもう振り返る必要はないんだ。

私は十数年闘ったのだ。ひとりっきりで。

 

今でも少しの物音や思いつきが引き金になってフラッシュバックを起こしそうになるけれど、そう言い聞かせてその瞬間をやり過ごす。

そんな瞬間の繰り返し。

自分に大丈夫、大丈夫と声をかけながら一日を過ごす。

そんな私の一日は断片的な時間の連続と言えるのかもしれない。

 

ネギが刻めない日もあるし、鍋物が作れる日もある。

寝込む日もあるし、コンビニに行ける日もある。

そんなアップダウンのある日々でも、明らかに数年前より良くなっている。

雨戸も開けずに数日寝込むことがまだあっても、起き上がった時には寝込む前より状態が良くなっていることを実感できる。

温かい食事を取り、冷えた体内にとどまっていた物をひり出した時、口から肛門まで気が通り、体が目覚め始めたと感じる。

体はちゃんとこたえてくれる。

ありがたい。

自分の体がいとおしい。

 

私は十分やってきたのだ。

 

 

 

 

五十を過ぎて楽になってきている。

四十歳の頃はまだ三十代を引きずっていた。

自分が五十を迎えるなんて信じ難かった。

五十を越えた私の心は穏やかだ。

そのくせ経験値が少なく子供っぽいのだが。

十年前にはこんな境地になるとは思わず、若さを失うことは受け入れ難いことだった。

この十数年はとにかく闇。

暴風雨の中、猛り狂う真っ黒な海に投げ出されたような。

荒波に揺さぶられ、開けた口に容赦なく大量の海水が流れ込む。

息ができない。

体が圧迫されて濁流に打ち付けられる。

沈む。浮く。打ち付けられまた沈む。

壮絶な十年だった。

先生に助け上げられた時には、もう何も持っていなかった。

何も。

 

希望も。

野心も。

執着も。

何も。

ただ、「今」があった。

若い頃にはなかったのに。

何もかもなくして、時間を得た。

 

荒れ狂う波に飲まれる前はどうしていたのか、振り返る時間はある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始めること 終わらせること

何事も始められない私は、終わらせることもできなくて。

ご飯は炊くことができたけど、おつゆに入れるネギは刻めなかった。

ご飯を炊くのは久しぶり。いつもはパックご飯だ。

せっかく炊きたてのご飯ができたのに、あてにしていたレトルトのカレーはもうなかった。

急遽、冷凍のうなぎをレンジでチン。ご飯を作ることに頭を使いたくない。ご飯作る→大変 って脳に認識して欲しくないから。楽に楽に。

野菜もあるのに調理出来ずにいる。

ブロッコリーは黒ずんでいた。

一日ずっとタブレット。ユーチューブ見たり。

昨日は何かやったかな、と考えたらちゃんと洗濯をしていて。

えー洗濯したのって昨日だったんだって少し驚く。

何事もやった実感が残らないのと、やったのがいつだったのかわからないのと。

今現在はあるのに、いつもとっさに最近のことが思い出せない。

後藤さんにだいぶ良くなってきたと報告してるのに、やはり毎日の記憶はしっかりとは残っていないようだ。

私の解離は記憶の障害として出ているのか?記憶が残らないのははたして解離のせいなのか。

一度先生にきちんと聞いてみなければならない。

いやしかし、毎日家にこもりきりでタブレット見てるだけじゃ誰も何も記憶に残らないもんだよと自分で突っ込みを入れつつ。

 

ネギを刻むことができなかった私は、今だ一日を終わらせることもできない。