心地よい空気。
耳あたりのよい鳥たちの鳴き声が響く。
春を告げる鳥、鶯も鳴き始めた。
春になったのだ。
寒さを超えて春を謳歌しようとしているのは、私も同じだ。
年末からずっと眠りこんでいた。
私の失われた冬。
長く寒い日々を眠り続けて、やっと私も春を迎えた。
暖房をつけなくなった。
上着を一枚脱いだ。
窓を開けている。
日射しのある時はベランダに出て太陽光を浴びる。
私は大きく伸びをして、長かった冬眠からさめる。
鶯は春にしか鳴き声を聴かないので渡り鳥かと思ったら、寒い時季は木の実などを食べてひっそり暮らしているようだ。
春に鳴くのは発情期のためで、縄張りの主張とメスへのアピールかららしい。
小さい身体で渡り鳥ということはやはりなかった。
つぶらな小さな目で桜の木から顔を出す。
桜を見に行かなければならない。
住宅が多く、こちらに住んでから桜を見かけることがなくなった。
団地に住んでいた頃には、下に降りれば大量の桜並木を見上げて歩くこともできた。
この間ケースワーカーさんに、前は桜を見に行くこともできなかったでしょ?
と言われ、以前は毎日部屋で臥せって、一週間きりの桜を、階下に降りて堪能することも出来ず、ドアの外にすら出られなかった毎日を思い出した。
私は本当によくなって、以前どれほど苦しい日々を過ごしたのかさえ、うまく思い出せなくなっている。
毎日過去の苦しみが襲ってきては生活ができない。
私は本当によくなった。
それと同時に具合の悪かった日々を決して忘れてはならないと思っている。
今も具合の悪さと闘っている人達がいる。
そのことを決して忘れてはならないと思っている。
目がさめるとタブレットを開き、何時間もタブレットを抱えこんで過ごしていたが、最近はタブレットを見るとすぐ疲れ、頭痛がするようになってきた。
逆に家事をすることのほうが楽な時がある。
食器を洗うことを考えるとパタッと頭が回らなくなるほど、苦しい毎日だった。
今もまだまだだが、料理が作れるところまでこぎつけた。
十数年ぶりに焼いた鮭がおいしかった。
ごはんは相変わらずパックごはんだが、お肉を焼いて食べる時は市販のたれを使わず、以前していたように自分で味付けできるようになった。
化学的な成分が余分に入らない、とても健全な味がする。
桜が花開き、鶯は小さな身体でよく響く声で鳴く。
生命力あふれる春の訪れ。
これから大地は夏に向かってどんどん活力をみなぎらせて行く。