複雑性PTSD、うつ、過敏性腸症候群(IBS)のきらめき日記

生きにくさはあるけれど、キラキラしたものも見つけてやっていこうよ、自分の人生。鬱と過敏性腸症候群を抱えてます。

2024 春 目覚め

心地よい空気。

耳あたりのよい鳥たちの鳴き声が響く。

春を告げる鳥、鶯も鳴き始めた。

春になったのだ。

寒さを超えて春を謳歌しようとしているのは、私も同じだ。

年末からずっと眠りこんでいた。

私の失われた冬。

長く寒い日々を眠り続けて、やっと私も春を迎えた。

暖房をつけなくなった。

上着を一枚脱いだ。

窓を開けている。

日射しのある時はベランダに出て太陽光を浴びる。

私は大きく伸びをして、長かった冬眠からさめる。

 

鶯は春にしか鳴き声を聴かないので渡り鳥かと思ったら、寒い時季は木の実などを食べてひっそり暮らしているようだ。

春に鳴くのは発情期のためで、縄張りの主張とメスへのアピールかららしい。

小さい身体で渡り鳥ということはやはりなかった。

つぶらな小さな目で桜の木から顔を出す。

桜を見に行かなければならない。

住宅が多く、こちらに住んでから桜を見かけることがなくなった。

団地に住んでいた頃には、下に降りれば大量の桜並木を見上げて歩くこともできた。

この間ケースワーカーさんに、前は桜を見に行くこともできなかったでしょ?

と言われ、以前は毎日部屋で臥せって、一週間きりの桜を、階下に降りて堪能することも出来ず、ドアの外にすら出られなかった毎日を思い出した。

私は本当によくなって、以前どれほど苦しい日々を過ごしたのかさえ、うまく思い出せなくなっている。

毎日過去の苦しみが襲ってきては生活ができない。

私は本当によくなった。

それと同時に具合の悪かった日々を決して忘れてはならないと思っている。

今も具合の悪さと闘っている人達がいる。

そのことを決して忘れてはならないと思っている。

 

目がさめるとタブレットを開き、何時間もタブレットを抱えこんで過ごしていたが、最近はタブレットを見るとすぐ疲れ、頭痛がするようになってきた。

逆に家事をすることのほうが楽な時がある。

食器を洗うことを考えるとパタッと頭が回らなくなるほど、苦しい毎日だった。

今もまだまだだが、料理が作れるところまでこぎつけた。

十数年ぶりに焼いた鮭がおいしかった。

ごはんは相変わらずパックごはんだが、お肉を焼いて食べる時は市販のたれを使わず、以前していたように自分で味付けできるようになった。

化学的な成分が余分に入らない、とても健全な味がする。

 

 

桜が花開き、鶯は小さな身体でよく響く声で鳴く。

 

生命力あふれる春の訪れ。

これから大地は夏に向かってどんどん活力をみなぎらせて行く。

 

 

 

お知らせ

 

複雑性PTSD

○うつ

過敏性腸症候群(IBS)

 

当事者である私が日々思うこと。

キラキラ✨したものを探しながらの生活を綴ったブログです。

 

複雑性PTSD当事者の方や、それらの病気に詳しくない方の目に留まりやすいよう、今回ブログタイトルを変更致しました。

 

 

皆さんに支えられながら、自分らしく生きてます。

気軽に覗いてくれたら嬉しいです。

11月の話

11月に入っても、暑かったり寒かったりして、天候はまだ落ち着かないみたいだ。

あまりよくは知らない。まだ日中は雨戸を閉めたまま寝ていることも多いから。

でも全体的にとても良くなってきている。

ただ疲労がひどい。

体というより頭の疲労感。

数年前、タブレットを抱えて、何時間もネットサーフィンをしていた頃は感じなかった脳の疲労

今はタブレットを長時間見ていると、ズンと脳が重くなる。

それでも長年の悪習慣で見続けていると、頭がパタリと動かなくなって、ベッドになだれ込み、意識を失くす。

1、2時間経って目が覚めた時にはかなり頭がスッキリしている。

家事をしたあとベッドで意識を失くしたこともあり、一日にそんなことが二回起こったりする。

どんな時でどんな状況だったのか、今は思い出せない。

今も疲労を感じつつ、最近の変化をブログに綴っている。

食器を洗うこともだいぶ出来るようになってきた。

シンクが空いてきれいになった。

日常のことができるようになってきたのは本当に嬉しい。

 

この間バスに乗って、夏に駅のトイレに忘れてきた靴を警察署まで取りに行ってきた。

渡された箱の中に入っていたのは確かに私の靴だった。

何度も開封され、車に揺られて届いた靴は、きちんと薄紙に包まれたまま私の元に帰ってきた。

何人もの人の手を介して戻ってきた靴。

丁寧な扱いに、日本人っていいな。日本はいいな。と思った。

パンプスはそんな物語を連れて帰ってきた。

ポインテッドトゥの白いパンプスは、私の中で、なおいとおしくなった。

 

 

夏の記憶

今週のお題「急に寒いやん」

 

夏が行ってしまった。

どこに行った?

きっと南の島辺りだろう。

オーストラリアのサンタは、赤い服着てサーフィンをする。

クリスマスが見えてくる。そんな時季になってきた。

 

私の夏の思い出は、まぶしい日差しと洗濯と、二回の東京。

朝から日焼け止めと帽子でガードして、起きてる日には洗濯をした。

毎日よく照って、洗濯物がよく乾いた。

そんな日もあれば、朝からカーテンを閉めてクーラーをつけて寝ている日もあった。

それでも前進中。

 

時々たまらなくなる。

なんでこんなことになったのだろう。

私が何をしたって言うの?

私ばっかりだ。

もう無理だよ。

 

東京の病院にノコノコ行く気になんてなれない。

私は被害者なのに、なんで私が東京まで行かなきゃならないの?

「不条理ですね」

先生が言う。

 

私は恨めしいのだ。

悔しいのだ。

なんで私にひどいことばっかり起こるの?

私は恨めしい。

 

7月に診療所に行った帰りにローファーを買った。

履いて行ったサンダルでかかとが痛くなってしまったので、駅のトイレで買ったローファーに履き替えたら、洗面所に忘れてきてしまった。

8月に遺失物係に赴いたところ、サンダルは警察署に届けたとのこと。

早めに引き取りに行かなければならない。

 

最近頭痛がしてひどく疲れる。

解離がよくなってくると疲れを感じるようになってくるらしい。

具合の悪さが、なりを潜めて疲れが目立ってくるということだろうか。

それならば良い兆しなのだろう。

 

夏以降、自分が「おばさん」だと認識することが多々あり、今はおばさんだということを受け入れ始めている。

人は外に出なくても、経験が少なくても、おばさんになるのか。

なんだか損した気分だ。

 

今は新しい毛布をネットで探している。

寒くなって、冬に籠るのも好き。

 

私はこれからもしんどい、しんどいと言いながらも生きて行くのだろう。

 

冷たい雨が降るスポーツの日。

こうして秋はしんしんと深まって行くのだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023 夏

世間で、「おばさん」といわれる年齢になって、気付いたことが沢山ある。

なぜ、隣のおばさんは洗濯物をベランダに干す時、カーラーを後頭部に二個巻いていたのか。

なぜ、バスに乗ったおばあさん達は、揃って頭にニット帽をぴったり被っているのか。

なぜなら、髪が薄くなってボリュームがなくなったからだ。

自分の髪が薄くなって初めてわかった。

おばさん達がナイロンのバッグを持っているのは、長時間重いバッグを持つと疲れてしまうからだそうだ。

私にもその気持ちがわかってきた。

これからも若い頃にはわからなかった、おばさんやおばあさん達の行動や心理がいろいろわかってくるに違いない。

なんだか悲しい。

 

梅雨明けしてないのにこの暑さ。

体温越え?

そんな馬鹿な。

私が子供だった頃は帽子被ってセミを捕っていた。

今は日焼けが怖くて洗濯物を干す時も日焼け止めを塗っている。

あー、小学生の頃のようにアイス片手にプールに行きたい。

 

さらさらのパッドにひんやりケット。

クーラーの効いた部屋で極楽だ。

しかし私は、いまだに失神をたびたび起こすほど、まだまだ具合が悪い。

それでも随分良くなってきたと実感している。

最近ハマっているタロット占いと誘導瞑想が効いてきたのかもしれない。

横になって、スマホから聞こえる声に導かれ、リラックス。

私は力を抜いて、今までの人生を洗い流す。

 

今の任務は歯医者に通うこと。

予約日に歯医者に行くことができなくて、治療はいつも中断し、奥歯の治療に何年もかかっている。

この間やっと奥歯の土台を作るための型どりをしてきた。

やっとここまできた。

もうひと頑張り。

 

月の見えないアパートでも、セミと鳥の鳴き声がよく聞こえる。

私の五十数回目の夏。

夏の記憶が学生の時で止まっている私は、今年の夏を大事にしよう。

どんな夏にしようかな。

 

 

 

 

春を探しに

今週のお題「お花見」

 

坂本龍一が亡くなった。

私の中で、有名人はいつまでも全盛期の印象のままで色褪せない。

人生100年時代」と謳う記事に接することも多くなった。

日本人の平均寿命は男女とも80代。

100歳まで生きる人もいれば、若くして亡くなる人もいる。

田村正和は77歳で亡くなった。

田村正和を若い頃から見ていた私は、いつの間に77歳になっていたのかと驚くとともに、自分の知っている有名人が消えて行くという当たり前の現実に面食らった。

私にとって、亡くなる有名人とは、もっと高齢であまりよくは知らない人達であった。

徐々に、よく知る有名人が亡くなって行くという現実に戸惑う。

グラッとくるのはそれが70代の人達であること。

「訃報です」

とキャスターが告げると私は身構える。

今度は誰が?

最近、訃報に敏感になっている自分がいる。

50代になった私はあと20年で70代になる。

あと20年経てば亡くなってもおかしくない歳なのだ。

20年なんてあっという間だ。

20年後。70代になった私はどうしているだろうか。

今より死が身近に迫って。

 

まだ体調に波はあるが、この間ケースワーカーさんと近所のバス停で待ち合わせをした時、私も彼女とバスに乗って、最寄り駅に出て髪を切ってきた。

一年ぶりの美容室。

気分さっぱりショートボブにしてもらった。

白髪も染めてもらい、ホッとした。

今まで洗面所の鏡に写る自分の姿に、白髪を染めたつもりの自分を見ようとしていたが、しっかり染めた自分に言い訳はもうできない。

髪を染めてさっぱりショートの自分が掘り起こされた。

私ってこういう顔をしていたっけ?

今回、前髪を上げて額を見せたことで、とても新鮮に思えた。

私はいつの間にか大人の顔をしていた。

額を見せて、眉と目がしっかり主張している。

そして私は眉バサミを手に眉を整え、マスカラをした。

鬱で臥せっている時には考えなかったこの変化。

女は髪を切っただけで気分も行動も変わる。

うん。なかなかいいじゃない新しい私。

 

この間、うちからバス停を二つ行った先に小さな公園を見つけた。

緑が多く、やっと見つけた!と嬉しかったが、広さは猫の額ほど。

日本人は必ず桜を植える民族だから、きっと桜の木もあるに違いないと思いながら、外に出るほどまだ元気ではなくて。

少しよくなったら今年こそ、この地で桜を愛でたい。

もう葉桜かもしれないけど、

芽吹いてくる春を見つけに。