もう大丈夫だよ。
もう十分だよ。
もういい加減かわいそうだよ。
私は十分苦しんだよ。
フラッシュバックを起こす回路をまた辿りかけそうになった時、私は自分にそう言い聞かせる。
もう十分振り返ったよ。
もう十分納得したよ。
もう十分だから、もう振り返らなくて大丈夫だから。
私は十分振りかえって苦しんだんだ。
だからもういいよ。
もう大丈夫だよ。
そうして、考えをストップさせる。
私はこの十数年、ずっとフラッシュバックと解離の真っ只中にいたけれど、今はもう振り返る必要はないんだ。
私は十数年闘ったのだ。ひとりっきりで。
今でも少しの物音や思いつきが引き金になってフラッシュバックを起こしそうになるけれど、そう言い聞かせてその瞬間をやり過ごす。
そんな瞬間の繰り返し。
自分に大丈夫、大丈夫と声をかけながら一日を過ごす。
そんな私の一日は断片的な時間の連続と言えるのかもしれない。
ネギが刻めない日もあるし、鍋物が作れる日もある。
寝込む日もあるし、コンビニに行ける日もある。
そんなアップダウンのある日々でも、明らかに数年前より良くなっている。
雨戸も開けずに数日寝込むことがまだあっても、起き上がった時には寝込む前より状態が良くなっていることを実感できる。
温かい食事を取り、冷えた体内にとどまっていた物をひり出した時、口から肛門まで気が通り、体が目覚め始めたと感じる。
体はちゃんとこたえてくれる。
ありがたい。
自分の体がいとおしい。
私は十分やってきたのだ。