コロナに慣れてきた。
春先は未知のウイルスに戦々恐々としていたが、最近は未知ではなくなった。
コロナウイルスがいる世界に慣れてきた。
慣れてきた、とは不謹慎だが。
もちろん外出の際には気を付けている。
必ずマスクをしているし、帰ってからの手洗い、うがいも欠かさない。
ただ、
皆が一様にマスクを着用している。
スーパーのレジ前にぶら下がっている透明フィルム越しに、店員さんとマスクで話す。
バスや電車の窓がわずかに開いていて、各自ソーシャルディスタンスを守っている。
という街の風景に慣れてきた。
いまだ厳戒体制が続く日常に慣れてきた。
初めて知るウイルスは恐ろしい。
先進国が次々と感染者を出し、あっという間に1万人を越える死者が出る。
2020。私達は歴史の真っ只中にいて、それはどうなるのか、誰にもわからない「今」にいる。
私達の対応次第で未来が変わる。
幸せだった誰かの人生が暗転するかもしれない。
生まれてくるはずの生命が生まれてこないかもしれない。
現在に生きる者として未来に対する責任を感じた。
後で読んだ者に何か役立つことがあるかもしれない。
今の現状を伝え残したい。
私の知る情報はわずかだけど、ブログを書く時にはせめてその日ごとの感染者数は書くようにしてきた。
今現在、日本はどんな状況にあってこのブログを書いているのか。
日本では一度落ち着いたかのようだったコロナウイルス。
また感染者数が増えている。
6月。
1月から5か月行っていなかった東京。
コロナ禍の中での初めての東京。
気が張っていた。
除菌ティッシュと替えのマスクを数枚持って出る。
グリーン車は窓が開かないので怖い。
一般車両に乗った。
少し窓が開いている。
皆、ソーシャルディスタンスを守っているし、車内は適度にすいている。
東京の街は陽が燦々と射していたが、道ゆく人は皆マスクをしている。
先生がお休みの日に行ったので、他の男性医師と話して処方箋を頂いた。
帰宅時は夕刻のラッシュアワーと重なり、こんできたのでグリーン車に乗った。
いつも帰りのグリーン車でアイスコーヒーを飲むことを楽しみにしているが、ここは我慢。
しかし車内で飲食する客もいて、え?大丈夫なのか?と思う。
行く前から気を使った東京は意外にあっさり。
先週、コロナ禍の中、二度目の東京に行った。
体調が悪くてコロナどころじゃない。
明日飲む薬がない。
行くのに必死。
家から東京まで這ってでも行かなければ処方箋をもらえない。
除菌ティッシュも忘れ、先生の病院を目指す。
診察室は密室を避けるために、ドアが完全に閉まらぬようストッパーでとめている。
先生も診察室でマスクをしていた。
1月から会っていなかったことに気付かなかったのは、最近毎週のように先生と電話で話しているから。
マスクの先生とマスクの私。
先生の表情が見えない。
私は不安を覚える。
私の話を聞くだけじゃなく、私の表情も見て欲しい。
一生懸命話すから、つらい顔や笑った顔も見て欲しい。
私の話を聞いて、聞いてくれた先生の顔も見たい。
目と目を合わせて頷いて
力を使って話して、受けとめてくれた人の表情を見たい。
これが「カウンセリング」ではないだろうか。
愛に対して愛で返す。
マスクを着用することで、感情が伝わりきらない。
会話だけじゃダメなんだ。
心と心の通い合いには表情は必須。
渾身の力でぶつかるから、受けとめたと表情で教えて欲しい。
マスク越しでは会ったことにならない。
帰宅して一週間。
先生と電話で話した。
お互いがマスク着用だったこと。
ずっとそのままなんですか?
私達の時代はずっとマスクが必要なの?
そうかもしれない。
でも増えるところまで増えたら、後は収まっていくでしょう。
先生が言う。
この言葉は効いた。
コロナはピークを過ぎたら収まっていく。
際限なしに増えるわけではないのだ。
医療に詳しい先生がそう言うなら、間違いないのだろう。
私と先生はずっとマスク越しでしか会えないの?
マスク越しの会話では会ったことにならない。
夏がまだ来ない。
さっきまで満月が出ていたと思ったら、また雨。
まだ来ない夏にセミが鳴く。
7月31日
全国の感染者数1474人。