複雑性PTSD、うつ、過敏性腸症候群(IBS)のきらめき日記

生きにくさはあるけれど、キラキラしたものも見つけてやっていこうよ、自分の人生。鬱と過敏性腸症候群を抱えてます。

賢明と無難と

ある人から「その方が賢明です」と言われて、そんな言葉があったか。と思った。

一度も使ったことのない言葉だった。

人に言われたこともなかった。

賢明、か。

知ってはいたけど、どういう時にどう使うのだろう。

わからないまま時は過ぎ、その言葉を知ってから十数年経つが、結局使ったことはない。

最近また「賢明」という言葉を思い出し、この言葉について考えてみた。

「賢明」という言葉を使う人は、日常に「賢明」がある人だ。

賢明な人は回り道をしない。

よけいなことに首を突っ込んで、自分の日常を乱したりしない。

無駄がない。

先行きがあやしいと見れば、サッと回避できる。

くだらないこと、煩わしいことを察知することができる。

人にどう見られようと自分の身を守ることを第一に考えている。

これが私の思う「賢明な人」だ。

サッと逃げるというのがミソで、私は結局、この賢明な人に逃げられた。

調子の悪い時だった。

やはりその人は賢明な人なのだろう。

賢明という言葉は、よけいなことをせず自分の有益になるように動け、と聞こえる。

例えば、

それはしないほうが賢明だよ。とか

賢明な選択だったね。という時、

私はそこにその人の利己的な心理を感じてしまう。

だが、「賢い」と「明晰」が合わさった言葉なのだ。

悪い意味ではないはずだ。

調べてみた。

 

〈賢明〉

賢くて、物事の判断が適切であること。

またそのさま。

賢明な処置。

早く報告したほうが賢明だ。

 

報告が遅ければ「愚昧」なのだろうか。

「賢明」の反対語は「愚昧」だという。

 

愚昧(ぐまい)

ばかで、物の道理がわからないこと。

 

賢明か愚昧か。という選択がここにはある。

引っかかったのはこの部分だ。

賢いか、ばかか。

賢い者の、上から目線をそこに感じるのだ。

 

自分は賢い。

という驕りや、愚かな者に対する軽蔑を感じる。

「賢明」を使う人はある意味、自分は愚かな選択をしない。と言っている。

 

たまに使われる言葉、とも書かれていた。

やはり日常的に使う人は少ないのかもしれない。

はたまた、「無難」という言葉がある。

例えば、女友達と一緒に洋服を買いに行った時、

「これとこれ、どっちがいい?」

と聞かれ、

「うーん。こっちの方が無難かなぁ」

と答える人は無難な日常を送っているのだろう。

日常が無難で溢れているのだ。

無難な人の家には無難なものが置いてある。

人より突出しない、決して悪目立ちしない、世間並みの物。

賢明な人の家には賢明な物が置かれている。

よけいな装飾のない合理的な物。

まるで毎日断捨離しているかのような室内。

人は普段よく使う言葉から、その人となりを感じとっているのかもしれない。

私が普段よく使う言葉は何だろう。

自分ではわからない。

相手の方がよく把握しているかもしれない。

ただ私の好きな言葉は「変わってる」だ。

私が「あの人変わってる」と言う時、もうすでにその相手に心惹かれている。

人からみると変わったような人が好きなのだ。

「変わり者」というのではなく、個性的な人。

そんな人がいるとワクワクする。

では、私の家は変わった新奇な物で溢れているだろうか。

絨毯はワニ柄で、カーテンは星条旗

テーブルはひょうたん型で、毒キノコのペン。

そんな部屋だったりしたら、あまり落ち着かないだろう。

おや?

このコンパクトケースのような物は何だろう。

開けてみる。

ブロンズゴールドの丸い物が4つ入っている。

綺麗✨

コードレスで肌着に装着できるのか。

どれどれ。

ん?

着けてみると、高周波でとてもいいぞ。

血行が促進される。

気持ちいい。

肩コリの私にはとてもいい!

3時間充電で24時間も使える。

仕事や家事をしている時間が治療時間になるじゃないか。

運動不足の私の救世主😆

 

腰も凝ってます。

#コリコラン欲しいです。