複雑性PTSD、うつ、過敏性腸症候群(IBS)のきらめき日記

生きにくさはあるけれど、キラキラしたものも見つけてやっていこうよ、自分の人生。鬱と過敏性腸症候群を抱えてます。

5月12日 神社とイクメンパパと

昨日、外出してきた。

先月の29日以来だから、約2週間ぶり。

その間に平成から時代は代わり、令和になった。

やっぱりテレビで、天皇の退位や、即位の儀式は見ておきたかったな。

装束姿の天皇がどんな儀式をして、令和に移るのか、しかと見ておきたかった。

日本古来の連綿と続く儀式を見られる機会は、まずないだろう。

私は神社もお寺も好きなのだ。

日本が誇る神々の聖地。

東京に行くと、オフィス街のど真ん中に、古来より続く神社が、しかと根付いて残っていることに感銘を覚える。

数多あった都市開発の中で、しっかり受け継がれ、日本人に大切にされ、守られてきた神社。

その歴史の中で、どのくらいの人が訪れ、どのくらいの祈りを受け止めてきたのか。

今でも、スーツ姿のビジネスマンや、外国人が足を止め、賽銭箱にお金を投げ込み、がらがらと太い綱を揺らして、願い事をする姿がある。

時代は移り変わっても、人々のそんな気持ちは変わらない。

地域の人や、訪れる人の思いを大事にして、神社を大切に守ってきた日本人の精神性が好きだ。

高いビル群に囲まれて、そこだけ時が止まった場所。

手水舎で手と口を洗い清めるビジネスマン。

どこの国から来たのだろうか、外国の男性が賽銭箱の前に立つ。

そんな姿を見かけると、物質主義のこの現代日本において、信じる気持ちは皆同じで、清いものだ、と清々しく、誇らしく思う。

 

もし、テレビで、装束姿の天皇の儀式を観る機会があったなら、どんな思いが去来しただろうか。

なにしろ、日本の天皇制は2600年続いているという。

しかし、やはり現在において、天皇制の是非を問う時は来ていると思う。

 

話は私の外出に戻り、昨日は本当に、五月らしい陽気の日だった。

爽やかな風が心地良い。

交差点で父親と息子が自転車に跨がって、信号待ちをしている。

いちょうはたっぷり緑の葉を付け、風に枝を揺すっている。

桜の木もすっかり緑になり、もう他の木々と見分けが付かない。

公園で子どもと父親が遊ぶ姿があった。

立ち寄ったコンビニにも、娘を連れた父親の姿。

子どもに飲み物を買ってやり、上手く飲めない子どもの面倒をみている。

日曜日なのだ。

毎日は子どもの相手が出来ない、イクメンパパ達が母親に代わって、子ども達の相手をする。

私が子どもの頃は、まず見かけることのなかった、子どもの相手をする父親の姿。

育児は母親がする時代に育った。

周りの子達も父親との距離は、今ほど近くはなかったと思う。

 

私は羨ましかった。

父親と娘に自分を投影する。

もし、私があの子で、父があの父親だったら。

女の子が上手く飲めなくて、父親に甘えた口調で訴える。

私は父に甘えたことがなかった。

甘い口調でねだったこともない。

もし、そんな父娘関係だったら。

私の人生は違ったろう。

 

私はいつも、イクメンパパ達を見かけると、苦々しく、妬ましく感じる。

悔しい、と思う。

 

いつもの日曜日だ。

 

私の未来

爽やかな春の朝。

以前は自分の身の回りにある空気感、陽の光、鳥のさえずり、新緑。

何もかも、自分の中に取り込むことが出来なかった。

じわりじわりと来ているらしい覚醒の時を感じながら、タブレットに向かって、自身の近況を書き連ねることが、今の私の一番のリフレッシュの時間となっている。

 

昨夜、ブログに何か書きたくて、はてなのお題スロットに参加しようと思ったが、悪戦苦闘した結果、私のタブレットからは参加出来ない、という事実が判明して、実に残念だ。

がっかりだ。

お題で「一人の時間の過ごし方」「コーヒー」等、魅力的テーマにノリノリで、書いてみたかったのに残念極まりない。

 

仕方ないので、今までと同じようにひっそりと書いていくしかない。

皆と同じお題で書いて、誰かに読んでもらえるかも、という魅惑的な思惑はあっけなく消えた。

 

しかし、このアプリ、お題に参戦できないことを除いては、タブレットでもかなり書きやすい。

良かった。

 

GW明けだが、実は「令和」に入ってから一度も、どこにも外出していない。

やばい。

朝、ゴミを出しに行くことしかしていない。

やばい。

最近、早朝にやっと寝て、昼過ぎに起きるというパターンが続いているが、やはり私が外出することに前向きでないからだろう。

所属している所がないと、出かける意味が見つからない。

ここのところ、天気が良い日が多いので、いい加減「春」を見つけに出かけないと、あっという間に暑くなり、そのうち本格的に梅雨が始まってしまう。

雨の日はよけいに外出が億劫になるので、この間ネットで、早目にレインコートを買っておいた。

ネイビーのモッズレインコート。

エストと裾が紐で調節可能だという。

さんざんネットで見て、熟慮に熟慮を重ね、購入した物だが、まだ試着すらしていない。

ネットでポチして、いざ届いたら封も開けない。

買い物依存の私の悪い癖。

しかし、そうも言っていられない。

最近は私も現実に目覚め、買い物を控えることが多くなった。

進歩してはいる。

もともと洋服が好きなので、いつまでもネットを見てしまう。

女性は洋服が好きなのに、スマホで簡単にポチ出来る世界。

何でも簡単に買えてしまえる世界。

…怖い。

ネットの甘い罠。

 

20年以上前、1990年代以前。

スマホがこんなにも普及する前。

もし誰かが、

「ポケットに電話機が入るようになって、コンピュータが付き、指一本で買い物が出来て、辞書もニュースも見れるし、簡単な文章も送れて、自分の書いたものが世界中に発表されますよ」

とでも言おうものなら、

「この人、何を言ってるの??」

誰にも理解不能だったことだろう。

ケータイが普及し、(以前は普及させる為に、街頭でケータイ機を配っていた時代もあったのだ)その後、先人達の努力に続けと、電話会社がこぞって開発し、人々の努力のリレーが繋がって、今、私が発信できるタブレットがある。

 

未来は誰にも想像出来ない。

言い換えれば、

未来は誰でも創造出来る。

 

とりあえず、外出。

 

 

 

子どもの日に

お昼前から、子ども達の声がしている、と思ったら、今日は子どもの日だった。

子どもの日だから子どもの声がしている、というわけではないのだろうに、楽しそうな幼児の声が響く。

「子どもの日」か……

子どもの日に何かしてもらったことはないような気がする。

子どもに興味のない親であった。

 

最近、「遊ぶ」ということについて考えている。

「遊ぶ」ってなんだろう。

遊んだことのない私にはわからない。

もちろん、小学生の頃はよく友達と遊んだ。

放課後、一度家に帰ってランドセルを置くと、校門前で待ち合わせた。

どうせ学校に戻るくらいならそのまま学校にいればいいだろうに、と今なら笑ってしまうが、皆そうだった。

校庭の鉄棒で、履いているブルマにスカートの裾を入れ込み、即席のパンツにして、鉄棒をくるくる回り、これなら下着は見えない、と思っていた。

そのくせ、スカートを一緒に鉄棒に巻き付けて、滑り易くして回ったり。

運動は嫌いだったがそんなことをしながら、友達とおしゃべりをした。

友達の家に行くこともあった。

家の前の道路で、いつまでもゴム跳びをしていた。

長い輪になったゴム紐を用意し、一人の子どもが肩幅くらいに開けた足首に引っかけ、反対側にいる子どもと対になって、ゴム紐を引っ張って安定させる。

ゴム紐を跳ぶ子どもは、後ろ向きで向こう側のゴムを足首に引っかけ、リズムを刻むようにステップをし、今度は二本引っかけては外し、また一本引っかけステップ、の繰り返し。

詳しく覚えていないが、こんな感じ。

「チャチャ」と呼んでいた。

このゴム跳びを長々とするのである。

もちろんおしゃべりと。

安上がりな遊びであった。

ゴム紐一本で、ずっと遊べた。

 

そういうものを「遊び」というのかと思っていた。

子どもの頃のお金のかからない、他愛ない遊び。

 

数年前、

「お前は遊ばないのか」

と、知っている人に強い口調で、言われたことがある。

随分ひどい言い方をするものだ、と思った。

しかし、そう言われてみると、私にはそれ以外の遊びの経験がなかった。

その後いくつもの修羅場を経験し、一年半前に精神科に入院した時、検温に訪れた看護師に、

「遊ぶってどういうこと?」

と聞いてみた。

20代の男性看護師は、趣味が何か、他の看護師さん達にも聞いてみたら?と言ってくれた。

日替わりで、私の受け持ちになった看護師達に聞いてみると、様々。

マウンテンバイク。

釣り。

旅行。

料理。

遊びとは、趣味のことなのか?

今書いてて気付いた。

いつの間にか、遊び=趣味。と認識していたようだ。

いや、気分転換になること、を聞いたのだっけ?

一番最初に助言してくれた看護師さんが、遊び=趣味=気分転換。と認識して、私にそうアドバイスしてくれたのかもしれない。

入院中のことなので、はっきり違いを意識していたわけではなかった。

遊び、趣味、気分転換。は同じものなのか?

確かにどれも、リフレッシュになり、身体がゆるみ、ほっとする自分の時間。と、とれる。

例えば、ここに「サーフィン」を当てはめてみよう。

遊び=サーフィン

趣味=サーフィン

気分転換=サーフィン

なるほど。

見事に当てはまるではないか。

 

私には、これが足りなかった。

遊びが、小学生の感覚のまま止まっていた。

 

私は15歳から、学校に行っていない。

遊びが何か知らない。

 

社会人としての経験も浅いので、お金を出す遊びが何かわからない。

 

カラオケ?

何回も行ったことがある。

人前で歌うことがあまり好きではない、と、やっと気付いた。

 

 

ずっと調子が悪く、本を読めずにいたが、最近また読めるようになってきたのが、本当に嬉しい。

今は十代の時読んだ、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」を読んでいる。

ここまで深かったのか。

若い時には気付くことのなかったチャンドラーの世界。

男くさい、人間くさい、味わいある名著である。

描かれる人間が一人一人、生き生きと、人間くさい。

初めて読んだ時は、ストーリーを追いかけるのがやっとだった。

40代後半となって、改めて読み返し、良い書物というものは何度読んでも味わい深く、また戻ってきたくなるものだ、と感慨深い。

 

そして、本を読む。という行為ほど、私らしいものはない。

と痛感した。

小さい頃から本を読むことが好きだった。

本から手が離れなかった。

いつも、本の中の世界にいた。

知らない風景も、知らない感情も、本で学んだ。

日常に本がある世界。に身を置いていた。

 

そうだった。

私は本を読むこと、で成り立っていた。

 

今また何年ぶりかで、本のある生活に戻ってきて、私は私を取り戻した。

本を読むこと。

それは私の居場所。

私の趣味。

リラックス。

私の遊びだ。

 

 

外に出て、お金をかける趣味を探すのは、これから。

私が今、やっと自分を見つけた。

他の遊びを見つけるのは、これから。

 

 

 

平成から令和へ

静かな朝である。

さっき、ゴミを出しに行った時、前方のスーパーの方向に日の丸の旗を見た。

鯉のぼりと一緒に風にはためいていた。

そうだ。

天皇陛下の退位と即位の日を控えているのだ。

うちにはテレビもないし、今は世間にも属していないので、実感がまるでなかった。

即位の日、退位の日。くらいは、所属するセンターに行って、テレビを観ようかと思っていたが、電車とバスを乗り継いでまでセンターに行って、テレビを観ようと思うほどの興味はやはり起こらなかった。

 

私が決定的に世間に属さなくなったのは、たぶん去年の九月からだ。

もちろん、それより前はニュースだけは、タブレットでチェックしていたのだが、二年前の桜の開花時、ちょうど番組改編の時期から、全くニュースにも興味が沸かなくなった。

タブレットでは画面が見づらいから、という面もあった。

タブレットの粗くて小さい画面を見続けることの限界もきていた。

 

二年前、東京の先生の所に行って、帰って来た時、報道ステーションの、花見時に雷雨がきた、というニュースが、私のタブレット最後のニュースとなった。

 

それから二年。

全くテレビを観ていない。

入院時にテレビを観る機会はあったが、以前と違い、テレビには興味が沸かなかった。

自分でも不思議なくらい、テレビ、あるいは世間で起こっていること、流行っていること、世間の人が愉快だと思っていること、に興味がなくなっていた。

 

立て続けに、新たに知ったり、起こったりした、三つ程の人間不信にならざるを得ない出来事を、乗り越えた時、すっかり世間と縁が切れていた。

 

時代が変わる。

日本人には大きな節目。

30年前に平成に入ってから今日まで。

長い30年が終わる。

 

30年。

私にとっては昨日のことのようだ。

記憶に残るような出来事がほとんどなかった30年。

私は30年以上、解離していた。

今、平成が終わることで、はっきりわかる、私にとっての30年。

平成から令和に変わる節目の時。

私も変わる。

これからは自覚を持って、障害者という社会的弱者としての立場から、物事を発信していくつもりだ。

 

新しい時代は、否応なしに向こうから来る。

私の令和が始まる。

 

 

 

 

 

 

ワインレッドの心

♪もっと勝手に恋したり

もっとキッスを楽しんだり

忘れそうな想い出を

そっと抱いているより

忘れてしまえば

 

今以上それ以上愛されるのに

あなたはその透き通った瞳のままで♪

 

最近、よくこの歌を口ずさんでいる。

うろ覚えで、同じ箇所を繰り返し。

言わずと知れた「安全地帯」の「ワインレッドの心」である。

 

なぜ最近、急にこの曲を口ずさんでいるんだろう。

と考えたら、手持ちのグレーのコートに合うワインレッドのマフラーを、いつもネットで探していて、頭からワインレッドのイメージが離れないからだった。

 

この曲が流行ったのは、私が中学の頃だ。

特にファンだったわけでもないから、うろ覚えでも仕方ない。

ちょうどその頃、玉置浩二石原真理子が不倫をして、世間を騒がせた。

どういう内容の会見だったか覚えていない。

石原真理子

美しかった。石原真理子

黒いロングヘアに長い睫毛。

淑やかに、細い指でさらさらした黒髪を耳に上品にかけ、涙が瞳から、はらはらと零れ落ちた。

なんて美しい。

この人は愛してはいけない人を愛してしまい、申し訳なさと、どうしようもない愛情の狭間で、揺れ動き、切なさに苦しんでいる。

誰もがうっとりした。

中学生の私も、いけない恋をしてしまった、この美しい人に心奪われた。

不倫が大ブームだった。

この会見のせいかもしれない。

誰もが、してはいけない恋をしてしまう程の恋。に憧れた。

不倫ブームは、私の中で、バブル時代と重なっている。

 

そんなことを思い出しながら、歌詞を口ずさんでいた。

 

 

♪忘れそうな想い出をそっと抱いているより

忘れてしまえば

今以上これ以上愛されるのに

 

これは私?

大事な想い出をそっと自分で抱きしめているのは、

私だ。

 

そうだ。

大事に抱きしめ過ぎていた。

 

傷つけてしまった。という心の痛みと、どうしようもない申し訳なさを、ずっと抱え混んでいたのは、私だった。

もう随分、昔のことだ。

 

相手は忘れてしまっただろう。

抱えこんでいたのはきっと私だけだ。

 

忘れてしまえば。

忘れてしまえば、新たな何かが得られるのかもしれなかった。

 

大事に大事に抱きしめて、

ゆっくりゆっくり育っていったのかもしれない感情。

 

そおっとそおっと、手放せば、新しい感情が訪れるのかもしれない。

 

感情も、空いたスペースに入ってくるものなのかもしれない。

 

だから、今は、

大事だった記憶をそおっと手放して、

新しい感情が訪れるのを、静かに待とう。

 

 

♪今以上それ以上愛されるまで

あなたのその透き通った瞳の中に

あの消えそうに燃えそうなワインレッドの

心を写し出してみせてよ揺れながら

 

 

 

 

 

 

入院中の受け付けにて

年配の女性看護師は、受け付けの奥から出てくると、マスクをしている私に言った。

「良くなったじゃなーい!」

私は不思議に思って聞いた。

「私が入院した時、いらっしゃいましたっけ?」

「いなかったけどみんな言ってるから」

何を?

「顔が変わったって。みんな言ってるわよ」

「みんなって、○○先生や外来の看護師さんが?」

「だけじゃないわよ。みーんなよ!」

そして、看護師は両手を広げて、もう一度、

「みーんなよ。みんな」

目を大きく見張って言う。

それはこの病院中、全員が。という風に取れた。

私はこの時、よく事態が飲み込めていなかった。

戸惑いながら、マスクを外した。

看護師は小さく、

「あ、」

と言って、1、2歩下がった。

そして、呆然とした表情で私を仰いだ。

私は、二重、三重にたるんで変わってしまった自分の顔を、十年程親しくしている、母親ほど歳の離れたこの看護師に見せて、助言してもらいたかった。

すがるように自分の顔をこの看護師に託したのだ。

看護師は怯えたように、私から身を引いて、口ごもった。

私は、痩せてたるんだ顔を晒した。

年配看護師は、つくづく私の顔を見て、

「カルテに目のマッサージがどうのこうの書いてあったけど、このことだったのね」

と得心したように言った。

入院中の私のカルテを、勝手に外来の看護師が見ているのか、と思った。

良くなったって何が?

ほら、痩せて入院して食べられなかったって聞いてたけど、食べられるようになって良かったわね、って。

言い訳がましかった。

近くに寄って来て、私のエラの下の皮膚を両指で、摘まむと、そのまま下に皮膚を引き下ろした。

私は自分の顔の皮膚が下に伸びて、妙な四角い顔になっていることを自覚し、そんな顔を晒しているのを情けなく思った。

看護師は自分で引っ張った私の顔を見て、また軽く動揺した。

そして、私に、こっち向いて、と指で差し、私が横を向くと、今度は、こっち向いて、と次々に指示を出し、私は素直にそれに従った。

とにかく、顔をなんとかしたかった。

どうすればいいか教えて欲しい。

看護師は次に上を向くように言った。

「もっと上、も少し上」

私は指示通り、顔を上げた。

皮膚が重力で真下に垂れ下がっていくのを感じた。

その皮膚の重みを感じて、こんなことになってるの?と驚いていた。

とにかく、顔の窮状をなんとかしたい。して欲しい。という一心で。

徐々に顔は上を向き、もはや仰向いていた。

下を向いたり、上を向かされたり。

私は、頬の下を指で上に押し上げ、前はこうだったのに、と訴えた。

看護師は、痩せた時は専用のマッサージがあったりするって言うじゃない。とか、なんとか言いながら、私を様々な角度に向かせ、最後にかなり上を向いた角度を取らせ、

「うん。その角度だったら大丈夫」

と自分は納得したようだった。

こんな上を向いた状態で歩けるものか。

「あなた、もう時間じゃないの?

それが一番心配」

2、3回、そう繰り返し、盛んに私を上の病棟に戻そうとした。

私は看護師に、顔が少し良くなったら、良くなった!って言ってね。と頼んだ。

良くなりたかった。

たまたま、病棟に戻るエレベーター前で、作業員が大がかりな清掃作業をしていた。

少し迂回したら、エレベーター前に簡単に出られそうだった。

看護師は作業員に向かって、半ばイライラしたように、今、そこ通れないの?!と大きな声で言った。

この人らしくないな、なんでそんな言い方するんだろうと思った。

作業員が手を止め、大きな清浄機が止まった。

スペースが空くと、

「さ、行きなさい」

売って変わって、やさしく私を促した。

別にそこをちょっとまわればエレベーターに乗れるのに。

私は作業員が空けてくれたスペースを通り抜けながら、振り返って、看護師に手を振った。

看護師は、あわてて笑顔を見せ、私に手を振り返した。

エレベーター前に出て振り返ると、まだ看護師がこちらを見ていたので、私はまた手を振り、看護師は慌てた笑顔で振り返す。

3、4回そんなことを繰り返して、なんで今日は、お互いこんなに手を振ってるんだろうと、疑問に思った。

しかし、その時には、今回のことが後々、尾を引く重大事になるとは思っていなかった。

 

 

 

 

 

あの日の夕焼け

不意に。

こんなことを思い出した。

 

今から40年近く前。

昭和50年代のことである。

私は小学生であった。

新年度も始まり、クラスも落ちついていた頃。

転校生がやってきた。

小柄な私より、もっと小柄な、目のくりくりしたショートヘアの女の子。

私達小学生にとって、転校生は珍しかった。

 

母と駅前に買い物に行った帰り道、その子に会った。

ある工業メーカーの、男性独身寮の敷地内にその子はいた。

その会社の寮の敷地はとても広かった。

建物も大きく、立派だったが、そのわりに人を見かけることがなかった。

いつも通る度、いったいここには、どんな人達が住んでいるのだろう、と想像を膨らませた。

中はどうなってるの?

どんな物を作っている会社なの?

独身寮って、それぞれの部屋になってるの?

大規模でふだんは人気がない、会社の独身寮とやらが、子どもには気になって仕方ない。

興味津々だが、それを知っている人にさえ、会ったことがない。

それが、私のクラスの転校生、という形で、急に私の前に現れた。

鉄柵の向こうの彼女は、快活で、なんでもよくしゃべった。

母の弟、つまり叔父がこの寮に住んでいること。

母親と一緒に叔父の所に来ていること。

私は、少し不思議に思った。

独身寮に住む叔父の所に、身を寄せているなんて。

なんだか、地に足が付いてない気がした。

私の母は先に帰ってしまっていたようだ。

鉄柵に掴まりながら、私達はしばらく話した。

彼女は、これからお風呂だ、という。

夕方のまだ早い時間だった。

そのことをよく覚えているのは、後ろから、若い男性が声をかけてきたから、だったか。

彼女がそう言ったからなのか。

そこはあやふやだ。

どっちにしろ、彼女はこれからお風呂に入るのだ。

ここでは、彼女は男性達に混じって、毎日、お風呂に入っているそうだ。

私は驚いた。

小学低学年だったが、私は知らない男性とお風呂に入ったことはなかった。

随分あっけらかんとしてるんだな、という思いと、周りは何も言わないのかな、という疑問と。

赤くなってきた空と共に強烈に覚えている。

彼女にまるで抵抗はないようだった。

 

それから数日経ったある日。

夕方、クラスの連絡網で電話がきた。

彼女とうちのクラスの女子、二人。が行方不明になっている。誰か知りませんか?

というものだった。

もう一人の女子というのは、クラスでも、あまり目立つような子ではなかったように思う。

特に仲が良い、というわけでもなかった。

 

同級生が二人、行方不明。

小学生には大きな出来事だったが、あっさり解決した。

 

彼女のおばあさんの家があるという東北に、二人で向かったという。

 

小学生が一人で行ける距離ではない。

彼女は何を思って、クラスメイトを誘ったんだろう。

 

それきり学校に出てくることなく、彼女はまた転校して行った。

転校してきてから、一週間のことだった。

 

あけっぴろげで、あっけらかんとして、身軽で。

不思議な子だった。

 

風の又三郎のようだった。

 

昨日出かけた後、しばらくぶりに彼女のことを思い出した。

ある会社の社員寮を見かけたせいかもしれない。

あの日の夕焼け空は、まだ私の中に残っていた。