昨日、外出してきた。
先月の29日以来だから、約2週間ぶり。
その間に平成から時代は代わり、令和になった。
やっぱりテレビで、天皇の退位や、即位の儀式は見ておきたかったな。
装束姿の天皇がどんな儀式をして、令和に移るのか、しかと見ておきたかった。
日本古来の連綿と続く儀式を見られる機会は、まずないだろう。
私は神社もお寺も好きなのだ。
日本が誇る神々の聖地。
東京に行くと、オフィス街のど真ん中に、古来より続く神社が、しかと根付いて残っていることに感銘を覚える。
数多あった都市開発の中で、しっかり受け継がれ、日本人に大切にされ、守られてきた神社。
その歴史の中で、どのくらいの人が訪れ、どのくらいの祈りを受け止めてきたのか。
今でも、スーツ姿のビジネスマンや、外国人が足を止め、賽銭箱にお金を投げ込み、がらがらと太い綱を揺らして、願い事をする姿がある。
時代は移り変わっても、人々のそんな気持ちは変わらない。
地域の人や、訪れる人の思いを大事にして、神社を大切に守ってきた日本人の精神性が好きだ。
高いビル群に囲まれて、そこだけ時が止まった場所。
手水舎で手と口を洗い清めるビジネスマン。
どこの国から来たのだろうか、外国の男性が賽銭箱の前に立つ。
そんな姿を見かけると、物質主義のこの現代日本において、信じる気持ちは皆同じで、清いものだ、と清々しく、誇らしく思う。
もし、テレビで、装束姿の天皇の儀式を観る機会があったなら、どんな思いが去来しただろうか。
なにしろ、日本の天皇制は2600年続いているという。
しかし、やはり現在において、天皇制の是非を問う時は来ていると思う。
話は私の外出に戻り、昨日は本当に、五月らしい陽気の日だった。
爽やかな風が心地良い。
交差点で父親と息子が自転車に跨がって、信号待ちをしている。
いちょうはたっぷり緑の葉を付け、風に枝を揺すっている。
桜の木もすっかり緑になり、もう他の木々と見分けが付かない。
公園で子どもと父親が遊ぶ姿があった。
立ち寄ったコンビニにも、娘を連れた父親の姿。
子どもに飲み物を買ってやり、上手く飲めない子どもの面倒をみている。
日曜日なのだ。
毎日は子どもの相手が出来ない、イクメンパパ達が母親に代わって、子ども達の相手をする。
私が子どもの頃は、まず見かけることのなかった、子どもの相手をする父親の姿。
育児は母親がする時代に育った。
周りの子達も父親との距離は、今ほど近くはなかったと思う。
私は羨ましかった。
父親と娘に自分を投影する。
もし、私があの子で、父があの父親だったら。
女の子が上手く飲めなくて、父親に甘えた口調で訴える。
私は父に甘えたことがなかった。
甘い口調でねだったこともない。
もし、そんな父娘関係だったら。
私の人生は違ったろう。
私はいつも、イクメンパパ達を見かけると、苦々しく、妬ましく感じる。
悔しい、と思う。
いつもの日曜日だ。