ユリのハラ腹日記

過敏性腸症候群を抱えて生きにくさはあるけれど、キラキラしたものも見つけてやっていこうよ、自分の人生。鬱でもあります✌

訪れぬ夏

梅雨明けはしたのだろうか。

テレビがないと全くわからない。

ネットのニュースを見ると、なにやら芸能界が大変らしい。

タブレットには、雨上がり決死隊の宮迫と、ロンドンブーツの亮が会見して、号泣している写真が小さく載っている。

それに伴い、吉本の社長が会見し、泣いている写真を先程見て、いやぁ、大変そうだなぁ芸能界。と思ったが、会見を見たわけではないので、なんとも言えない。

ただ、この状況を知って、思い出したことがあった。

けんか両成敗。というようなこの構図。

泣かせた相手がいて、自分も泣く。

なんだか小学生のけんかみたいだ。

私も経験がある。

友達に立腹され、学級裁判になったことがある。

学友達が様々な意見を言い合い、本来、私が泣くはずのところ、訴えた友人のほうが泣いて、私は涙をこらえた。

「なんであなたが泣いてるの。○○さんは泣いてないわよ」

先生が友人に言った。

私は絶対に泣かなかった。

最終的に、二人仲直りしましょう。ということになり、私は握手を求めて教壇の、友達のいる所に行って握手した。

友達はすっかり泣いていた。

今考えると、謝らない私が悪い。

私は謝らず、押し通した。

ただ、「ごめんね」と言えば済んだかもしれなかった。

私は「ごめんね」という言葉を使えば、まるく収まる。ということを、最近まで知らなかった。

いつも理不尽な目に遭い、謝ってなんかいられなかった。

「ごめんね」

この一言を言えばまるく収まるんだ。と気付くまで、随分時間がかかってしまった。

 

昨日と今日は、珍しく蒸し暑いが、7月に入ってもまだ、長袖を着ている日がある。

肌寒い日が多い。

90年代に冷夏があった時みたいだ。

農作物にかなりダメージがありそうだ。

夏服の売り上げも悪いだろう。

梅雨入り前は

「さぁ!半袖だぞ。夏服買うぞ!」

と、勇んでいたが、半袖を着る機会もなく、この前久しぶりに外出した時は、雨が降っており、半袖の上に二枚長袖を着て行く始末。

本当に7月なのか。

 

数日前からやっと、セミが鳴き始めた。

ものすごく申し訳なさそうに。

遠慮がちに。

夏ではないのに、鳴いていいんですか?

といった感じに。

今は夜なので、全く鳴いていない。

かわいそうに。

と思うが、8月は例年通りの暑さと言われているようなので、あと一週間もしたら、猛烈な暑さがやって来て、

セミ

「我こそは!」

と、けたたましく泣き出すことだろう。

あのセミの強力な鳴き声は、日本の真夏の暑さを増幅させる。

 

ここ数日は調子が悪かった。

真夏に寝込んだら大変だ。

うちはリビングにしか冷房がない。

この部屋では、扇風機の生暖かい風に頼るばかりだ。

 

今はジーンズのことばかり考えている。

ジーンズを新調したい。

ネットでいろいろ見ているが、届いてみないとサイズ感がわからない。

この前、出かけた時に見かけた、ジーンズが良さげだったが、お金の持ち合わせがなく、見送った。

残念だ。

試着だけでもしておけば良かった。

今度、街に出かける時は、いろいろ見て回りたい。

やっと、お金の現実に目覚め始めたので、自制して。

ネットで見ているより健康的だ。

 

毎年、あれだけ鳴いているセミが、鳴かない夏は夏らしくない。

太陽がジリジリ照りつけて、日傘を差している女性が、白っぽい夏服を着ている。

熱気だけが残る、風のない夜。

虫刺され。

 

なんだかそんな、当たり前の夏はまだ来ない。

 

 

 

 

母の味

お題「思い出の味」

先日、タクシーに乗った。

運転手の男性は、私と同じような年代。40代。あるいは30後半か。

目的地の駅名を告げると、

どっちが早いかな、と一瞬迷って、左にハンドルをきった。

4月にも関わらず暑い日で、車内は冷房が効いていた。

4月でも タクシーの中はもう暑いんですよ。夏なんてハンドルを握る手が陽に焼けちゃって。手袋嫌いなんで、食器も素手で洗っちゃいます、と気さくに言う。

いつもバスで通る道路へ出た。

 運転手さんは独身なのだろうか。

 がっしりした体躯で、好青年といった感じだ。

落ち着いた態度は既婚者に見える。

手袋の話から料理の話題になった。料理もすると言う。

男性なのにきちんとしてる。

最近ずっと調子が悪いので、ちゃんとした料理を作っていない。

「たまに自分の作ったものが、すごく美味しい時ってありますよね」

と言うと、深く頷く運転手さん。

 トンカツの話が出た。

地元にある店のトンカツが好きで、自分でも作ってみるんだけど、トンカツにかけるソースがいけない。

どうしてもあの味が出なくてね。

市販のトンカツソースとは違うんですよ。もっと甘い味なんです。

それで知り合いに頼んで、その店のソースを買ってきてもらったら、やっぱり美味しくて。

「そのお店の特別のソースなんですね」

そうなんです。

運転手さんはこの、トンカツにソースを合わせた味に惚れ込んでいるのだ。

その味に惚れ込んでいるお客さんが、その店には他にも大勢いるのだろう。

そして話題は、鯖の味噌煮の話へ。

「ご飯が進みますよね」

私が言うのは、鯖の缶詰めのことだ。

運転手さんは私を、「鯖の味噌煮を作る人」と思ったのだろう。

何回か作ってみたんだけど、魚臭いのが取れない。お袋何かしてたんだろうけど。

鯖の味噌煮…

作ったことがなかった。

 最近、料理らしい料理をしていないし、魚料理はせいぜい「ブリの照り焼き」くらいしか作ったことがない。

なので、魚の臭みの取り方も知らない。

「ブリの照り焼き」を作った時は、生姜のすりおろし(チューブの)を使った気もするが、どうだったろう。

随分前のことだ。

ここ数年それどころじゃなかった。

運転手さんの疑問に答えられない…。

梅干しを加えるような気もするが、変なアドバイスは出来ないので黙っていた。

お母上はご健在なのだろうか。で、あれば聞くことも出来るはず。

でも、そこは聞けない。

いろいろやってみても分からなくて。臭み取るのって何かなと、ずっと考えてるんですが。

 お袋に聞いておけば良かったんだけど、お袋亡くなったんで。

だから、お客さんで知ってそうな人がいたら聞いてみてるんです。

タクシーは駅前バスロータリーに滑り込んだ。

運転手さんは、鯖の味噌煮が作りたいのだ。

でも、ごめんなさい。私には分からない。

「料理人さんに聞いてみたら…」

「いや、そこまでじゃなくていいんです。家庭料理なんでね」

私は礼を言って、タクシーを降りた。

 

運転手さんは、お母さんの味を再現したくて、試行錯誤しているのだ。

「鯖の味噌煮」は、懐かしい「お袋の味」なのだ。

人は、自分に愛情を込めて作ってくれた人の味を忘れない。

鯖の味噌煮を作ることで、運転手さんは母親に、再び接しているのだ。

 

私にはそんな温かい「お袋の味」は存在しない。

そういう、愛しい「思い出の味」を持っている運転手さんは幸せだ。

きっとこれからも、その母の愛で、真っ直ぐ生きて行くに違いない。

何も持たない私も、真っ直ぐ生きて行こう。

 

 

 

 

 

 

夏の手前

取り返しがつかない失敗をしたり、なぜそんなことが?と、信じられないような出来事が起こった時、固く握りしめようとせず、握った拳を少し緩めて、指を広げて、後は天に任せる。

そんなスタンスでいることが、今の私の課題。

自分を責める前に、まず身体を緩めよう。

済んでしまった出来事は、もとには戻らない。

だったら、そうなった理由を見つけよう。

近くではなく、遠くから。

起こったことからなるべく離れて。

すぐに見つけようとしなくていい。

しばらくして、そういうことだったのか、と分かればいい。

だから今、私は30年近く前の出来事を思っている。

30年経ったから、あの場を離れて、外から見れる。

30年経ったから、冷静にもなれる。

どうしてそんなことになったのか、その前よりもっと遡って考えることもできる。

問題は幼児期から抱えていることだったのだ。

たまたまでなく、そうなった。

幼児期に遡るまで、待たれていた。

誰かが、その答えを必要としている。

書き記すことで、何かが救われるかもしれない。

偶然は必然だ。

私の過ちや失敗も、誰かの役に立つかもしれない。

人生の過ちに無駄なんてない。

 

こちらは雨が降ったり止んだりです。

いつもなら、東に見えるランドマークタワーも、西に見える富士山も、今日は靄に霞んで見えません。

梅雨の月曜日。

梅雨が開けたら、どっと夏が押し寄せます。

ひまわり。

砂浜。

ビーチパラソル。

そんな物たちで溢れる、どんな季節より、やかましい夏。

少女達の白い腕。

スクランブル交差点。

 

夏は若い人達に似ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハオルチア 6月

ベランダのハオルチアが今年も咲いた。

多肉植物の一種のハオルチアは、肉厚な葉を持ち、葉の先端は尖って鋭どい。

その葉が幾重にも重なり、トカゲの尻尾のような葉を、まるで花が咲くように広げる。

むくむく、ずっしりして、見かけはサボテンのようだが、なかなか獰猛にも見える。

その株から弦が出て、あれ?と思っているうちに、あっという間にぐんと一気に弦を伸ばす。

ずっしりした体躯に似合わぬ細い弦は40センチ近く。

伸びた弦の先端に、小さな細長い蕾が出来ている様は、まるで稲穂のようである。

白い蕾がうっすら色づいて、ラベンダーともピンクとも言い切れない色が、浮かび上がってくる。

微小な蕾は、本当に可愛いらしく、はかなげで愛しい。

植木鉢から溢れんばかりに成長したハオルチアは、幾つもの株が密集して盛り上がり、息苦しそうだ。

早めにもっと大きな鉢に植え替えて上げなければならない。

今年は五本の弦が伸びた。

一本の弦に5、6個の蕾をつけて、下の方から順に、ラッパが反り返ったような、小さな小さな花を咲かす。

この時季、弦を伸ばして花を咲かせるハオルチアを見ると、よく咲いてくれたね。と小さな生命に、感謝と感動を覚える。

ハオルチアは梅雨を告げる植物だ。

毎日ぼんやりと過ごす私に、

「梅雨が来たよ!もうすぐ夏が来るよ!」

と、教えてくれる。

だから私は、毎年この時季にハオルチアと交信している。

ハオルチアは寒い冬も越え、春にぐっと力を蓄え、梅雨に花を咲かす。

他肉植物はサボテンと同じように、あまり水を必要としない。

だからまだ寝込むことも多くて、頻繁に水をやれない私のもとでも、健やかに成長している。

私を毎年、勇気づけてくれる。

今年も、

咲いたよ!

と聴こえぬ声で、でもハッキリ、私に告げている。

普段と変わらぬ日常生活。しかし、この空間に私の他に生きている生命の存在がある。

か弱そうで儚くて、でもしっかり生きているハオルチアが愛しい。

六月だ。

梅雨の晴れ間は、どんな季節の晴れの日より清々しい。

9年前もそんな気持ちの良い日だった。

この時季、私は初めて先生に会ったのだ。

初夏。

サンドイッチ。

久しぶりの東京。

ビジネスホテルの朝食。

朝の日射し。

行き交う人々。

初めての街。

病院のロビー。

帰りのタクシー。

先生に出会った時のことは、そんなものたちと一緒に思い起こされる。

長い。

あるいは短い。

そんな9年だった。

私は変わった。

先生も変わったのかもしれない。

私達の9年。

その日が始まりだった。

 

 

 

 

 

ふと、

日常生活を送っている中で、父のことが頭によぎることがある。

そして、そんなことはないのだ。父は最近亡くなったのだ。

という現実に面食らう。

人はまず、亡くなった人にしてもらったことを思い描くのか。

思い出そうとしても、父にしてもらったことが何もない。

何もしてもらったことがない、とは本当だろうか?

何かをしてくれた父の姿を思い描くことは出来ない。

父は何もしてくれなかった。

改めてそう思う。

私が思い出せる父は、いつもよそを向いていて、私の方を見てくれたことはなかった。

子どもに無関心な勝手な父だった。

唯一思い出せるのは、クリスマスに必ずチョコレートを買ってきてくれたこと。

たぶん会社にチョコレートを売りにくる人がいて、クリスマスだから、という理由で、同僚達に混じって買ってきたのだろうと思う。

会社に売りにくる、と聞いたことがあったのかもしれない。

父がしてくれたことで思い出せるのは、そのことだけだ。

チョコレートを買ってきてくれた時でさえ、こちらを見てくれた記憶がない。

父が私を見ていない。

私の原風景である。

そんな父を、私は全く尊敬することなく育った。

むしろ反面教師にしていた。

ああはなりたくない、という強い思いは、今でも私を形作っていて、私が人と同じような幸せを、手に入れられない要因となっているのだろう。

そんな父でも、晩年はすっかり丸くなり、信じられないほど穏やかになった。

以前と違う父を見るにつけ、父がこんなに穏やかで寛容でさえあれば、私の人生は違うものになったろうと、

冷めた目で見る自分がいた。

父の車で通った道路が見える。

あの道を父と一緒に通ったのだ。

その父はもうこの世界にいない。

前屈みで、がに股で歩く男性を見かける時、とっさに父が歩いている、と錯覚する時、やはりそれは父ではないのだ。決して。

父が亡くなった?

人が亡くなるということはどういうことだろう。

ある人がついさっきまで、そこにいたのに、その肉体を置いていなくなってしまうこと。

持ち主のいなくなった肉体だけが、そこにあること。

もう戻ってこないこと。

腰が悪く前屈みで、がに股で歩いた父は、もうこの世界にはいない。

もう存在しないのだ。

私は父のことを悪く思ってはいない。

ただ私の人生で、父がいないことは、今まで一度もなかった。

 

土とアスファルト

私は苛立っている。

際限なく増え続けるアスファルトに。

この間、近所の駐車場で工事をしていた。

脇にある植え込みも取り払われ、ショベルカーを使って、以前からのアスファルトは引き剥がされている。

「またか…」

残念でたまらない。

最近、近くを歩いていると、至るところでショベルカーで地面を剥がしている。

民家の駐車場や、もともとは砂利にしていた駐車場で。

そして、しばらく経つと、新たなアスファルトで綺麗に地面をならしている。

地面が覆われている。

地面が塞がれている。

私は息が苦しくなる。

呼吸が出来ない思いがする。

子ども達が野球をしていた場所が、公園の片隅が。

次々と駐車場になっていく。

あ、駐車場になってる、と思ったら、もうぎっしり車が停まっている。

車が増え過ぎたのだ。

しかしなぜ、子どもの遊び場を駐車場にしてしまうんだろう。

子どものスペースがなくなっていく。

車が増えたから、車を停める場所が必要になった?

そんなのは大人の都合だ。

車を停める場所より、子どもの遊び場や、皆が憩う公園の方が大事やろ。

裸の土を埋めてまで、車置き場は必要ですか?

土地は活動的に使ってナンボ。

土地だって、車が上でじっとしているより、子ども達が遊び回ってくれた方が嬉しいはず。

公園が狭くなった。

そのうち、車に占領される。

アスファルトで綺麗に地面を覆って、それで満足?

綺麗にならしたアスファルトは美しい?

でこぼこした黒い土は現代人に嫌われて、歩きやすくした平坦な地面になっていく。

私は息苦しい。

昭和生まれだから。

地面が歩きにくい土だった頃を知っているから。

でこぼこして歩きにくくて、すぐ水溜まりができて、足元が汚れた。

そんなものだと思っていた。

私が高校生の昭和の終わり頃から、そんなぬかるんだ地面はアスファルトで塞がれ、すっかり歩きやすくなった。

キレイになった。歩きやすくなった。

皆、喜んだ。

私も綺麗になった。歩きやすくなって良かった。

と思った。

それから30年。

街に土がない。

全部アスファルトで覆われてしまった。

どこを歩いても平坦で、石につまづくこともない。

ぬかるみで足を汚すこともない。

歩きやすいキレイな街。

 

地面が息出来なくなっている。

本来の土に蓋がされ、土壌が呼吸出来ない。

そんな思いに駆られた。

 

地球が誕生した時から存在する土壌。

生命を生み、育み、その死も受けとめて、また命を生む。

私達の足元に確かにある地面。

みんな、ここから発生し、土に還っていくんだ。

永い地球の歴史の中で、現代ほどアスファルトに覆われたことなど、なかった。

 

土壌が息出来なくなっている。

ミミズも小さな微生物も、土の中にいるまま、蓋をされてしまった。

小さきもの達は今、どうしているだろう。

アスファルトで塞がれて、出て来れない。

その事実が、私を息苦しくする。

 

歩きやすいから。

整うから。

不便を便利に。

 

そんな身勝手な人間達に、自然界からそろそろ逆襲が来ている。

 

アスファルトの上をスギの花粉がコロコロ転がる。

以前は湿り気を帯びた土が吸着してくれたであろう、花粉は乾いたアスファルトを転がって、空気の流れで上に上がり、人の鼻腔をくすぐる。

 

夏の太陽の熱をアスファルトが抱えこんで、夜になっても気温が下がらない。

毎年、猛暑日の記録を更新し、日本が熱帯になっていく。

 

そんなに車の置き場所が必要だろうか。

車から発生する熱や物質も、私達を脅かしていく。

 

アスファルトがなくなって、息苦しいのは私だけじゃない。

皆、土に触れたい、とガーデニングを始めたりしている。

土は買う時代なのだ。

以前は足元を掘れば、ざくざく豊潤な土が出てきた。

微生物がたくさんいて、ミミズが良質にしてくれた土。

 

今、私は土が恋しい。

アスファルトでは息が出来ない。

 

そういう人は他にいませんか?

 

ネットのこれから

まだまだ調子は悪く、この数日寝込んでいた。

だいぶ良くなったとは言え、度々、瀕死状態になる。

ゼリー飲料で二日乗りきった。

そんな時、支えになってくれるのは、やはり先生だ。

わかってくれる人が一人でもいてくれるだけで、どれほど心強いものか。

 

最近はブログの世界にも救われている。

うつがひどい頃から書いているファッション系のブログで、よく知っているフォロワーさん達とコメントのやり取りをしたり、一年ぶりにブログで近況報国したら、フォロワーさんが増えたり。

きっと励ましてくれているんだ、と思って嬉しい。

 

こちらのブログでも久しぶりに書き始め、また楽しみが増えた。

誰かが読んでくれる、ということが嬉しく、励まされる。

 

何年も前、具合が悪かった時に失ったものも多いけど、今、全く新しいものが私の周辺にある。

 

ブログの世界は不思議だ。

今まで知らなかった未知の人と出会い、支えあっていくことができる。

ネットの世界。

本当ではないんでしょ?

と言う人もいるかもしれない。

昭和の時代には考えられなかった、新しいカタチの、人と人との交流が確かにある。

相手の目を見て、頷いて、呼吸を合わせて。

というコミュニケーションと、ネットの画面のコミュニケーション。

 

二つのコミュニケーションの間には、宇宙空間ほどの距離があるかもしれない。

それでも、その空間を飛び越えるネットという世界。

そこには、数多の人間ドラマ、一人一人の息づかいが確かに存在し、私達はつぶさにそれを感じ取ることが出来る。

 

子どもの虐待事件や、引きこもりの人の抱える問題などで山積みの現代社会。

これからはもっと、ネットが果たす役割が増えていくことだろう。

ネットでなければ果たせない、いわば匿名の、名もなき思いを掬い取ることも可能なはずだ。

 

先生や友だちには言えないけれど、ネットには書ける。

その人の困っている問題に対応出来る所が、ピンポイントで見つかる。

知らないから伝えられる。

知らない所と繋がる。

そんなネットの力がいかんなく発揮される時代がくる。

 

15才で引きこもって学校に行けず、誰にも話すことも、助けてもらうことも出来なかった自らを省みて、そんな社会や時代がくることを切に願う。