複雑性PTSD、うつ、過敏性腸症候群(IBS)のきらめき日記

生きにくさはあるけれど、キラキラしたものも見つけてやっていこうよ、自分の人生。鬱と過敏性腸症候群を抱えてます。

お母さんの部屋

誰でも

「お母さんの部屋」を持っている。

生まれた時から、その部屋には「お母さん」がいる。

おっぱいをくれて、抱きしめてくれて、笑顔で自分を愛してくれる。

赤ちゃんには理想もないから、そのままその人を受け入れる。

生まれた時に初めて目にするのが、自分の「お母さん」。

愛情を無尽蔵に与えてくれる。

これからずっと頼りにして、自分を決して裏切らないで、正しい方向に導いてくれる。

誰にとっても必要な存在。

だから「お母さんの部屋」には必ず、初めて目にした、おっぱいをくれて微笑みかけてくれたお母さんがいる。

誰にも必ずだ。

その存在を赤ちゃんは忘れることはないし、ずっと信じ続ける。

もしそのあと、その人がいなくなってしまっても、「お母さんの部屋」は存在する。

ただ、部屋の中にはお母さんがいなくて、がらんどうになってしまう。

がらんどうになってしまった部屋を持ち続ける人もいるだろう。

それはとても空虚で、冷たい風が吹き抜ける。

そんな部屋を持つ人は、自分の心にも風が吹き抜けているかもしれない。

そんな人もいる。

だから人は「お母さんの部屋」に入ってくれる誰かを探そうとする。

 

私にはずっと母がいる。

「お母さんの部屋」には私の母が入っていて、そこは温かく、愛情で満ちていると思っていた。

だから私には「お母さんの部屋」の不満は何もない。

と思っていた。

 

 

電話

小学生の頃。

よく

こんなことを考えた。

放課後。一人で家にいる時。

一本の電話がかかってくる。

電話機越しに聞こえる声の主は、品の良い女性で、今から車を寄こして私を迎えにくる、と言う。

その人は、私の実の母親で、私は迎えに来た車に乗って、ドラえもんに出てくるしずかちゃんの家に似た白い家に向かうのだ。

私は本当はこの家の子ではないのだ。

やっぱり。

と思う。

やっぱり私はこの家の子ではなくて、別の家の子なのだ。

本当の母親が迎えに来てくれて、私は本当の家に帰る。

その後は想像していなかった。

ただ、別に家族がいること。

この家は私の住む家ではないこと。

そう夢想することが、度々あった。

私は放課後、いつも家に一人でいることが多かったので、一本の電話がかかってきて、それを私が受けるという可能性は充分あった。

しかし、そんな電話は結局かかるわけもなく、すっかり忘れてしまっていた。

最近、そんな想像を小学生の頃していたなぁ、と思い出した。

その頃はなぜそんなことを想像していたのか、わからなかった。

一人でいて、家でお話を書いたりするのが好きな小学生だったので、普段とは違う想像をするのも楽しかったのかもしれない。

と思ったりしていた。

そんな夢想をすることに意味がある、とは最近まで思ったことがなかった。

 

新緑のコンビニで

いい天気。

家にいるのはもったいない。

最近、ほとんど外に出ていないので、体力づくりもかねて少し歩きたい。

外に踏み出すと、わっと熱気に包まれる。

何これ。

暑いやん。

インナーの上に長袖のシャツ、しかも羽織まで着て出たのに、見込みが外れた。

あわてて羽織を脱いで、腰に巻く。

こんなに暑く、いつなった?

テレビがないから情報が何もない。

知らなかった。こんなに暑くなっているとは。

歩き出すと、緑が眩しい。

いちょうの葉の綺麗な緑がみずみずしい。

気持ちいい。

歩くつもりでスニーカーを履いてきたので、新緑と、眩しい日射しと風の中、ゆっくり歩きたい。

立ち寄ったコンビニでドリンクを買い、高台の方に歩き出す。

ひさしぶりのこのルート。

普段はお散歩コースだが、しばらくぶりなので、なんだか懐かしい。

やばい。

はやくも疲れてきた。

上りの坂道がけっこうきつい。

この間、先生の所に行ってきた後、数日疲れが取れなかったことを思い出す。

少し加減して歩こう。

大回りしてスーパーに行こうと思っていたが、すぐ挫折。

この間から、少し良くなったばかりなのだ。

身のほどを知ろう。無茶はいけない。

東京の先生の所に行った時より、少し多めに歩ければ良い。

先生の病院は、電車の乗り換えに歩くくらいで、ほとんど歩かなくていいところが有難い。

この間は患者さんがかなり待合室で待っていて、挨拶もそこそこ、先生に、今日はあまり時間が取れないから、と言われた。

体調悪すぎ。

先生の前でうなだれて、ろくに声も出ない。

え?なに?もう少し大きい声で言って。

先生が身を乗り出して、手を耳にあてがっていた。

お薬の話をして、すぐ帰る。

体調が悪い中、一心不乱で東京まで往復したので、あまり実感がないくらいだ。

今日、外に出かけられたことに感謝。

いい風、いい天気。

私の五月。

コンビニに戻って、イートインでゆっくりアイスコーヒーを飲む。

アイスコーヒーが美味しい季節になった。

家では最近、いつもアイスコーヒーを飲んでいる。

今は、インスタントコーヒーに牛乳を入れて飲んでいるが、夏本番となったら、コーヒー豆を買ってきて、自分で淹れたい。

去年は水出しコーヒーにしていたが、うーん。旨味とコクがイマイチ出ない。

水出しコーヒー用のボトルまで買ってしまったのに、残念だ。

一年のうち3分の2は、美味しいアイスコーヒーをいかに簡単に淹れるか、について考えて過ごしている。

イートインって随分、普及したなぁ。

コンビニがここまで進化するなんて。

ちょっとしたカフェ気分。

以前はコンビニに入って、

「トイレ貸して下さい」と言うと、平気で「ありません」と言う店もかなりあったのに、イートインあります。どうぞごゆっくり。

になった。

時代は変わるもんだ。

私は立ち上がり、買った品物の入った袋を提げて、外に出る。

後ろから店員さんの

「ありがとうございました」

と言う声が聞こえる。

並木道を大きな袋を提げて歩くと、前方から来た親子らしい二人の女性とすれ違った。

母と娘。

娘は二十代始めくらい。

話しながら歩いている。

大きな袋を少し左によけた私と、やや右手に寄った若い女性。

私も、母と娘、の時があった。

私もああやって、母と二人で話しながら道を歩くことがよくあったのだ。

ありすぎるほど。

あの親子もいつか離れて、なんであんなに仲良くやっていたんだろう。と疑問に思う時がくるだろうか。

母と娘の関係はいつも、危うい。

 

 

 

月とてんとう虫と

さっきベランダに出てみた。

綺麗な満月だった。

嬉しい。

月が見えると嬉しい。

満月だったら、もっと嬉しい。

三日月や半月がヒットだったら、満月はホームラン。くらい嬉しい。

喩えが昭和ぽいな…

 

ベランダに出た時に、柵の影がはっきり下に映っていたので、今宵は満月か?と期待大。

南の上空にしっかり満月が出ている。

儲けた。

なぜか、素敵な自然現象に遭遇すると、そう思う。

以前、前の建物と、うちの間に虹が出ていた時も、そう思ったな。

超ラッキーやん。

虹。

七色と表される、虹の光。

赤や黄色、緑、青。

様々な色が混ざり合った、境界線のわからぬ未知の色たち。

あの虹色を目にすると誰もが、ぽわん♪となるのではなかろうか。

私はなる。

ぽわんとして、ほわんとして、うっとりして、儲けた!

と思う。

思わず、誰かにメールしたくなる。

実際した。

 

今日の満月は後輪も少し見えた。

光輪。というのかもしれないな。

仏さまの後光のようだ。

満月の回りが虹色に光っているのは、尊い

 

自然界の現象を偶然、目の当たりにした時、人は感動する。

それはどんな小さなことでも。

偶然、自分が見つけた!と思った時の感動は、どんな面白いテレビ番組より勝る。

 

春先に、家の近くのベンチに座っていたら、何か虫が頭にとまった、と思って手で払った。

虫?

虫嫌いの私に、少しの恐怖が起こる。

また何か飛んでいて「何だろう」と思ったら、てんとう虫であった。

ちっちゃいの。

赤の体に小さな黒い点がいくつかきちんと入っている。

かわいい。

他の虫に対する反応と、明らかに違うではないか。

てんとう虫。

いつぐらいぶりだろう。てんとう虫なんて。

最近は、かわいらしい虫や綺麗な蝶、を見ることがなくなった。

他の虫もいなくなっているのかもしれない。

原っぱや草むらがなくなった。

てんとう虫って、何か縁起がいい虫なんじゃなかったっけ?

かなり嬉しい、てんとう虫。

ティッシュに移して、そっと草影に置いておいた。(やはり素手では触れない…)

 

家に帰って調べてみた。

なになに。

 

てんとう虫が体にとまると願いがかなう吉兆。女性の髪にとまったら、その年のうちに結婚できると言われています。(欧米)「幸せを招く世界のしるし」

 

皆さん。(誰や)

わたくし、今年はお嫁に行けるかもしれません。

 

追記

「点灯虫」は、「天灯虫」だといいな、と思っていました。

タブレットで変換したら「天道虫」と出ました。

こちらも素敵✨ですね。

 

 

 

 

5月12日 神社とイクメンパパと

昨日、外出してきた。

先月の29日以来だから、約2週間ぶり。

その間に平成から時代は代わり、令和になった。

やっぱりテレビで、天皇の退位や、即位の儀式は見ておきたかったな。

装束姿の天皇がどんな儀式をして、令和に移るのか、しかと見ておきたかった。

日本古来の連綿と続く儀式を見られる機会は、まずないだろう。

私は神社もお寺も好きなのだ。

日本が誇る神々の聖地。

東京に行くと、オフィス街のど真ん中に、古来より続く神社が、しかと根付いて残っていることに感銘を覚える。

数多あった都市開発の中で、しっかり受け継がれ、日本人に大切にされ、守られてきた神社。

その歴史の中で、どのくらいの人が訪れ、どのくらいの祈りを受け止めてきたのか。

今でも、スーツ姿のビジネスマンや、外国人が足を止め、賽銭箱にお金を投げ込み、がらがらと太い綱を揺らして、願い事をする姿がある。

時代は移り変わっても、人々のそんな気持ちは変わらない。

地域の人や、訪れる人の思いを大事にして、神社を大切に守ってきた日本人の精神性が好きだ。

高いビル群に囲まれて、そこだけ時が止まった場所。

手水舎で手と口を洗い清めるビジネスマン。

どこの国から来たのだろうか、外国の男性が賽銭箱の前に立つ。

そんな姿を見かけると、物質主義のこの現代日本において、信じる気持ちは皆同じで、清いものだ、と清々しく、誇らしく思う。

 

もし、テレビで、装束姿の天皇の儀式を観る機会があったなら、どんな思いが去来しただろうか。

なにしろ、日本の天皇制は2600年続いているという。

しかし、やはり現在において、天皇制の是非を問う時は来ていると思う。

 

話は私の外出に戻り、昨日は本当に、五月らしい陽気の日だった。

爽やかな風が心地良い。

交差点で父親と息子が自転車に跨がって、信号待ちをしている。

いちょうはたっぷり緑の葉を付け、風に枝を揺すっている。

桜の木もすっかり緑になり、もう他の木々と見分けが付かない。

公園で子どもと父親が遊ぶ姿があった。

立ち寄ったコンビニにも、娘を連れた父親の姿。

子どもに飲み物を買ってやり、上手く飲めない子どもの面倒をみている。

日曜日なのだ。

毎日は子どもの相手が出来ない、イクメンパパ達が母親に代わって、子ども達の相手をする。

私が子どもの頃は、まず見かけることのなかった、子どもの相手をする父親の姿。

育児は母親がする時代に育った。

周りの子達も父親との距離は、今ほど近くはなかったと思う。

 

私は羨ましかった。

父親と娘に自分を投影する。

もし、私があの子で、父があの父親だったら。

女の子が上手く飲めなくて、父親に甘えた口調で訴える。

私は父に甘えたことがなかった。

甘い口調でねだったこともない。

もし、そんな父娘関係だったら。

私の人生は違ったろう。

 

私はいつも、イクメンパパ達を見かけると、苦々しく、妬ましく感じる。

悔しい、と思う。

 

いつもの日曜日だ。

 

私の未来

爽やかな春の朝。

以前は自分の身の回りにある空気感、陽の光、鳥のさえずり、新緑。

何もかも、自分の中に取り込むことが出来なかった。

じわりじわりと来ているらしい覚醒の時を感じながら、タブレットに向かって、自身の近況を書き連ねることが、今の私の一番のリフレッシュの時間となっている。

 

昨夜、ブログに何か書きたくて、はてなのお題スロットに参加しようと思ったが、悪戦苦闘した結果、私のタブレットからは参加出来ない、という事実が判明して、実に残念だ。

がっかりだ。

お題で「一人の時間の過ごし方」「コーヒー」等、魅力的テーマにノリノリで、書いてみたかったのに残念極まりない。

 

仕方ないので、今までと同じようにひっそりと書いていくしかない。

皆と同じお題で書いて、誰かに読んでもらえるかも、という魅惑的な思惑はあっけなく消えた。

 

しかし、このアプリ、お題に参戦できないことを除いては、タブレットでもかなり書きやすい。

良かった。

 

GW明けだが、実は「令和」に入ってから一度も、どこにも外出していない。

やばい。

朝、ゴミを出しに行くことしかしていない。

やばい。

最近、早朝にやっと寝て、昼過ぎに起きるというパターンが続いているが、やはり私が外出することに前向きでないからだろう。

所属している所がないと、出かける意味が見つからない。

ここのところ、天気が良い日が多いので、いい加減「春」を見つけに出かけないと、あっという間に暑くなり、そのうち本格的に梅雨が始まってしまう。

雨の日はよけいに外出が億劫になるので、この間ネットで、早目にレインコートを買っておいた。

ネイビーのモッズレインコート。

エストと裾が紐で調節可能だという。

さんざんネットで見て、熟慮に熟慮を重ね、購入した物だが、まだ試着すらしていない。

ネットでポチして、いざ届いたら封も開けない。

買い物依存の私の悪い癖。

しかし、そうも言っていられない。

最近は私も現実に目覚め、買い物を控えることが多くなった。

進歩してはいる。

もともと洋服が好きなので、いつまでもネットを見てしまう。

女性は洋服が好きなのに、スマホで簡単にポチ出来る世界。

何でも簡単に買えてしまえる世界。

…怖い。

ネットの甘い罠。

 

20年以上前、1990年代以前。

スマホがこんなにも普及する前。

もし誰かが、

「ポケットに電話機が入るようになって、コンピュータが付き、指一本で買い物が出来て、辞書もニュースも見れるし、簡単な文章も送れて、自分の書いたものが世界中に発表されますよ」

とでも言おうものなら、

「この人、何を言ってるの??」

誰にも理解不能だったことだろう。

ケータイが普及し、(以前は普及させる為に、街頭でケータイ機を配っていた時代もあったのだ)その後、先人達の努力に続けと、電話会社がこぞって開発し、人々の努力のリレーが繋がって、今、私が発信できるタブレットがある。

 

未来は誰にも想像出来ない。

言い換えれば、

未来は誰でも創造出来る。

 

とりあえず、外出。

 

 

 

子どもの日に

お昼前から、子ども達の声がしている、と思ったら、今日は子どもの日だった。

子どもの日だから子どもの声がしている、というわけではないのだろうに、楽しそうな幼児の声が響く。

「子どもの日」か……

子どもの日に何かしてもらったことはないような気がする。

子どもに興味のない親であった。

 

最近、「遊ぶ」ということについて考えている。

「遊ぶ」ってなんだろう。

遊んだことのない私にはわからない。

もちろん、小学生の頃はよく友達と遊んだ。

放課後、一度家に帰ってランドセルを置くと、校門前で待ち合わせた。

どうせ学校に戻るくらいならそのまま学校にいればいいだろうに、と今なら笑ってしまうが、皆そうだった。

校庭の鉄棒で、履いているブルマにスカートの裾を入れ込み、即席のパンツにして、鉄棒をくるくる回り、これなら下着は見えない、と思っていた。

そのくせ、スカートを一緒に鉄棒に巻き付けて、滑り易くして回ったり。

運動は嫌いだったがそんなことをしながら、友達とおしゃべりをした。

友達の家に行くこともあった。

家の前の道路で、いつまでもゴム跳びをしていた。

長い輪になったゴム紐を用意し、一人の子どもが肩幅くらいに開けた足首に引っかけ、反対側にいる子どもと対になって、ゴム紐を引っ張って安定させる。

ゴム紐を跳ぶ子どもは、後ろ向きで向こう側のゴムを足首に引っかけ、リズムを刻むようにステップをし、今度は二本引っかけては外し、また一本引っかけステップ、の繰り返し。

詳しく覚えていないが、こんな感じ。

「チャチャ」と呼んでいた。

このゴム跳びを長々とするのである。

もちろんおしゃべりと。

安上がりな遊びであった。

ゴム紐一本で、ずっと遊べた。

 

そういうものを「遊び」というのかと思っていた。

子どもの頃のお金のかからない、他愛ない遊び。

 

数年前、

「お前は遊ばないのか」

と、知っている人に強い口調で、言われたことがある。

随分ひどい言い方をするものだ、と思った。

しかし、そう言われてみると、私にはそれ以外の遊びの経験がなかった。

その後いくつもの修羅場を経験し、一年半前に精神科に入院した時、検温に訪れた看護師に、

「遊ぶってどういうこと?」

と聞いてみた。

20代の男性看護師は、趣味が何か、他の看護師さん達にも聞いてみたら?と言ってくれた。

日替わりで、私の受け持ちになった看護師達に聞いてみると、様々。

マウンテンバイク。

釣り。

旅行。

料理。

遊びとは、趣味のことなのか?

今書いてて気付いた。

いつの間にか、遊び=趣味。と認識していたようだ。

いや、気分転換になること、を聞いたのだっけ?

一番最初に助言してくれた看護師さんが、遊び=趣味=気分転換。と認識して、私にそうアドバイスしてくれたのかもしれない。

入院中のことなので、はっきり違いを意識していたわけではなかった。

遊び、趣味、気分転換。は同じものなのか?

確かにどれも、リフレッシュになり、身体がゆるみ、ほっとする自分の時間。と、とれる。

例えば、ここに「サーフィン」を当てはめてみよう。

遊び=サーフィン

趣味=サーフィン

気分転換=サーフィン

なるほど。

見事に当てはまるではないか。

 

私には、これが足りなかった。

遊びが、小学生の感覚のまま止まっていた。

 

私は15歳から、学校に行っていない。

遊びが何か知らない。

 

社会人としての経験も浅いので、お金を出す遊びが何かわからない。

 

カラオケ?

何回も行ったことがある。

人前で歌うことがあまり好きではない、と、やっと気付いた。

 

 

ずっと調子が悪く、本を読めずにいたが、最近また読めるようになってきたのが、本当に嬉しい。

今は十代の時読んだ、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」を読んでいる。

ここまで深かったのか。

若い時には気付くことのなかったチャンドラーの世界。

男くさい、人間くさい、味わいある名著である。

描かれる人間が一人一人、生き生きと、人間くさい。

初めて読んだ時は、ストーリーを追いかけるのがやっとだった。

40代後半となって、改めて読み返し、良い書物というものは何度読んでも味わい深く、また戻ってきたくなるものだ、と感慨深い。

 

そして、本を読む。という行為ほど、私らしいものはない。

と痛感した。

小さい頃から本を読むことが好きだった。

本から手が離れなかった。

いつも、本の中の世界にいた。

知らない風景も、知らない感情も、本で学んだ。

日常に本がある世界。に身を置いていた。

 

そうだった。

私は本を読むこと、で成り立っていた。

 

今また何年ぶりかで、本のある生活に戻ってきて、私は私を取り戻した。

本を読むこと。

それは私の居場所。

私の趣味。

リラックス。

私の遊びだ。

 

 

外に出て、お金をかける趣味を探すのは、これから。

私が今、やっと自分を見つけた。

他の遊びを見つけるのは、これから。