「お前は同情してほしいのか?」
父がガンだと知った時、私はショックでその事実が抱えきれなくて、信頼している音楽の先生に打ち明けた。
私は同情してほしいのか?
そうなのであろうか。
私は同情が欲しくて話し、先生はそう受け取ったのだろうか。
話したことはよくなかっただろうか。
私は戸惑って、親しくしている国語の先生に、そう言われたと言った。
「そんなひどいこと言われたのか?」
ひどいこと。
そうだよね。ひどいこと言われたんだ。
父がガンだと話す人は人にどう写るのだろう。
わからない。
私は父がガンだという事実に手一杯だった。
しかし今ならわかる。
ガンになった父を持つ娘の打ち明けを、同情してほしいのか。と言う人の心の貧しさが。
この先生は自分の親がガン告知された時はどう思うのだろう。
人の気持ちのわからない人だ。
いつでも、冷たい人は想像力がない。
想像力のないこの男性は音楽の先生だ。
以前、映画の話をした。
映画に詳しくて批判的なことを言う先生に、
「でもアンジェイ·ワイダはいいでしょ?」
と言うと、
「お前よく知ってんなあ」
と呆れたように言った。
アンジェイ·ワイダは一作しか見たことがなかったが。
先生と駅まで一緒に帰ったことがある。
外見は40代でも気持ちは20代だと言う。
20半ばの私は笑った。
お前は笑うけどなぁ。そんなもんさ。
そうなのかなぁ。
そんなもんなのか。
心は若いままなのか。
自分が年を取った時のことはいつも想像していなかった。
そんな話をしながら駅前に近づくと、ドーナツ店の前で足を止め、
何か飲んでいかないか、と誘ってくれた。
こういう時愛想よく、「はい」と言える人でありたかった。
私は先生にお茶を誘われ、足がすくんだ。
私はきっぱり断った。
先生は足を止めたまま、少し振り返って、
こういう時は誘いに乗るもんだ。
私に注意してくれた。
私もわかっていた。
楽しい会話の流れを止めてしまった。
しかし私は、その場の雰囲気を犠牲にして断った。
何かを口にすることが怖かった。