むすんで ひらいて

生きにくさはあるけれど、キラキラしたものも見つけてやっていこうよ、自分の人生。鬱と過敏性腸症候群を抱えてます。

ここから

今週のお題「人生最大の危機」

 2017年 2月

東京の先生の病院に正式に転院した。

それまで通っていた近所の病院からの紹介状を読んで、先生は、

「ほら!あなたが良くならないから様々な薬が出てる」

と言って、パソコンに向かった。

「あなたは薬を飲み過ぎてると思うな。薬を整理しよう」

その場で、私に処方されているいくつかの薬の名前を挙げ、これいる?これは?と言いながら、3錠ほどの薬を外していった。

そして、新しく「ラミクタール」という薬を処方された。

ラミクタール。

先生が以前から口にしていた薬。

期待が持てる。

1錠のラミクタールを小さく割って、自分で少しずつ除々に増やして、今度来る時には1錠全部飲めるようにして来て。と言われた。

 

増やして行く段階で、眠気、起き上がれない等の不調が出たが、一ヶ月ごとに先生に会う度、パソコンの記録を見ながら、あなたはラミクタールを飲む前からいつもそう言ってるようだから、ラミクタールのせいではないと思う。と言われる。

そのまま増やし続けて、5月上旬。

あまり食べられなくなっていた。

5月半ばの土曜日。

朝早くに散歩に出かけた。

普段片付かない所に手をつけたら、あっという間に片付いた。

購入したきり、まだ袖も通していなかった服をいろいろ着てみて、一人ファッションショーに興じた。

ファッションショーの際に、幾本も絡まってしまったネックレスをほどくのに熱中した。

熱中。

私が何かに、最後に熱中したのは一体いつだったろう。

今日は調子が良い。と実感した。

やった!薬が効いてきたんだ。先生やっぱりすごい。

嬉しかった。

 

一ヶ月後の6月末。

先生の病院に行った時、待ち合い室に誰もいなかった。

そんなことは初めてだった。普段なら5、6人は待っている。

十数人は座れる待ち合い室に誰もいない。

今なら話を聞いてもらえる。

今しかない。

私は先生に呼ばれて診察室に入った。

先生は、よくいらっしゃいましたね、とか何か言ったが、私はろくに聞いていなかった。

一気に話した。

今のこと、今まであったこと、昔あったこと、家族のこと。

何もかも一気にぶちまけた。

先生は何回も身体を折るように頷いて、つらそうに顔を歪めた。

何度も何度も半身を折って頷いた。

先生は一度聞き直したが、それ以外は一度も私の話に口を挟まなかった。

今。今、話さないと!全部話さないと!もう二度と話せないだろう。

私は渾身の力を込めて、思い出せる限りのこと、思いつく限りのことを全部、一気に話した。

10分くらいだったろうか。

先生は顔をくしゃくしゃにして辛そうだった。

私達が出会って、7年。

先生は、私が抱えていたものの正体をやっと知ったのだ。

私には絶対にカウンセリングが必要だった。

 

とてもぼんやりしていた。

帰りに寄ったカフェの窓側で、交差点を行き交う人達を見ていた。

カフェの店員が外に出している植物のプランターを移動させている。

両サイドには若い男性が一人ずつ座って、ノートパソコンを開いている。

私は一人真ん中で、チキンサンドとサラダのセットを食べていた。

不意に食べ過ぎたことに気付いて、はっとした。

お腹の弱い私は、外出先ではあまり食べ過ぎないように加減しているのだ。

のんびりし過ぎてしまった。

急にお腹の調子が心配になった。

夕方のラッシュアワーに巻き込まれかけ、グリーン車もほぼ満席状態だったが、座ることが出来た。

奧の窓側の席でビールを飲んでいるおじさんの隣で身を硬くしていた。

お腹の調子が心配でたまらない。

そのことしか考えられない。途中でお腹が痛くなったらどうしよう。

そのことを考えないように。と考えていた。

祈っていた。体が硬直していた。

とにかく早く家に帰らないと。

電車は数十分かけて、やっと最寄り駅に着いた。

バスに乗り換えてからも、お腹の調子を考え過ぎないように。

満席の車内で身を硬くしていた。

いくつもの停留所に停まり、やっと近所の停留所に着いた。

そこから家まで数分の帰り道。

帰って来た。無事帰って来れた。

という猛烈な安堵感に包まれながら、暗くなった空を見上げて歩いた。

東京からここまで帰って来たのだ。

何事もなく、よく帰って来れた。

ゆっくりゆっくり噛み締めるように歩いた。

 

 

その時は、それから起こるはずの事態を考える余裕もなかった。

ただ、よかった。帰って来れた。という安心感だけに浸っていた。