私は苛立っている。
際限なく増え続けるアスファルトに。
この間、近所の駐車場で工事をしていた。
脇にある植え込みも取り払われ、ショベルカーを使って、以前からのアスファルトは引き剥がされている。
「またか…」
残念でたまらない。
最近、近くを歩いていると、至るところでショベルカーで地面を剥がしている。
民家の駐車場や、もともとは砂利にしていた駐車場で。
そして、しばらく経つと、新たなアスファルトで綺麗に地面をならしている。
地面が覆われている。
地面が塞がれている。
私は息が苦しくなる。
呼吸が出来ない思いがする。
子ども達が野球をしていた場所が、公園の片隅が。
次々と駐車場になっていく。
あ、駐車場になってる、と思ったら、もうぎっしり車が停まっている。
車が増え過ぎたのだ。
しかしなぜ、子どもの遊び場を駐車場にしてしまうんだろう。
子どものスペースがなくなっていく。
車が増えたから、車を停める場所が必要になった?
そんなのは大人の都合だ。
車を停める場所より、子どもの遊び場や、皆が憩う公園の方が大事やろ。
裸の土を埋めてまで、車置き場は必要ですか?
土地は活動的に使ってナンボ。
土地だって、車が上でじっとしているより、子ども達が遊び回ってくれた方が嬉しいはず。
公園が狭くなった。
そのうち、車に占領される。
アスファルトで綺麗に地面を覆って、それで満足?
綺麗にならしたアスファルトは美しい?
でこぼこした黒い土は現代人に嫌われて、歩きやすくした平坦な地面になっていく。
私は息苦しい。
昭和生まれだから。
地面が歩きにくい土だった頃を知っているから。
でこぼこして歩きにくくて、すぐ水溜まりができて、足元が汚れた。
そんなものだと思っていた。
私が高校生の昭和の終わり頃から、そんなぬかるんだ地面はアスファルトで塞がれ、すっかり歩きやすくなった。
キレイになった。歩きやすくなった。
皆、喜んだ。
私も綺麗になった。歩きやすくなって良かった。
と思った。
それから30年。
街に土がない。
全部アスファルトで覆われてしまった。
どこを歩いても平坦で、石につまづくこともない。
ぬかるみで足を汚すこともない。
歩きやすいキレイな街。
地面が息出来なくなっている。
本来の土に蓋がされ、土壌が呼吸出来ない。
そんな思いに駆られた。
地球が誕生した時から存在する土壌。
生命を生み、育み、その死も受けとめて、また命を生む。
私達の足元に確かにある地面。
みんな、ここから発生し、土に還っていくんだ。
永い地球の歴史の中で、現代ほどアスファルトに覆われたことなど、なかった。
土壌が息出来なくなっている。
ミミズも小さな微生物も、土の中にいるまま、蓋をされてしまった。
小さきもの達は今、どうしているだろう。
アスファルトで塞がれて、出て来れない。
その事実が、私を息苦しくする。
歩きやすいから。
整うから。
不便を便利に。
そんな身勝手な人間達に、自然界からそろそろ逆襲が来ている。
アスファルトの上をスギの花粉がコロコロ転がる。
以前は湿り気を帯びた土が吸着してくれたであろう、花粉は乾いたアスファルトを転がって、空気の流れで上に上がり、人の鼻腔をくすぐる。
夏の太陽の熱をアスファルトが抱えこんで、夜になっても気温が下がらない。
毎年、猛暑日の記録を更新し、日本が熱帯になっていく。
そんなに車の置き場所が必要だろうか。
車から発生する熱や物質も、私達を脅かしていく。
アスファルトがなくなって、息苦しいのは私だけじゃない。
皆、土に触れたい、とガーデニングを始めたりしている。
土は買う時代なのだ。
以前は足元を掘れば、ざくざく豊潤な土が出てきた。
微生物がたくさんいて、ミミズが良質にしてくれた土。
今、私は土が恋しい。
アスファルトでは息が出来ない。
そういう人は他にいませんか?