年配の女性看護師は、受け付けの奥から出てくると、マスクをしている私に言った。
「良くなったじゃなーい!」
私は不思議に思って聞いた。
「私が入院した時、いらっしゃいましたっけ?」
「いなかったけどみんな言ってるから」
何を?
「顔が変わったって。みんな言ってるわよ」
「みんなって、○○先生や外来の看護師さんが?」
「だけじゃないわよ。みーんなよ!」
そして、看護師は両手を広げて、もう一度、
「みーんなよ。みんな」
目を大きく見張って言う。
それはこの病院中、全員が。という風に取れた。
私はこの時、よく事態が飲み込めていなかった。
戸惑いながら、マスクを外した。
看護師は小さく、
「あ、」
と言って、1、2歩下がった。
そして、呆然とした表情で私を仰いだ。
私は、二重、三重にたるんで変わってしまった自分の顔を、十年程親しくしている、母親ほど歳の離れたこの看護師に見せて、助言してもらいたかった。
すがるように自分の顔をこの看護師に託したのだ。
看護師は怯えたように、私から身を引いて、口ごもった。
私は、痩せてたるんだ顔を晒した。
年配看護師は、つくづく私の顔を見て、
「カルテに目のマッサージがどうのこうの書いてあったけど、このことだったのね」
と得心したように言った。
入院中の私のカルテを、勝手に外来の看護師が見ているのか、と思った。
良くなったって何が?
ほら、痩せて入院して食べられなかったって聞いてたけど、食べられるようになって良かったわね、って。
言い訳がましかった。
近くに寄って来て、私のエラの下の皮膚を両指で、摘まむと、そのまま下に皮膚を引き下ろした。
私は自分の顔の皮膚が下に伸びて、妙な四角い顔になっていることを自覚し、そんな顔を晒しているのを情けなく思った。
看護師は自分で引っ張った私の顔を見て、また軽く動揺した。
そして、私に、こっち向いて、と指で差し、私が横を向くと、今度は、こっち向いて、と次々に指示を出し、私は素直にそれに従った。
とにかく、顔をなんとかしたかった。
どうすればいいか教えて欲しい。
看護師は次に上を向くように言った。
「もっと上、も少し上」
私は指示通り、顔を上げた。
皮膚が重力で真下に垂れ下がっていくのを感じた。
その皮膚の重みを感じて、こんなことになってるの?と驚いていた。
とにかく、顔の窮状をなんとかしたい。して欲しい。という一心で。
徐々に顔は上を向き、もはや仰向いていた。
下を向いたり、上を向かされたり。
私は、頬の下を指で上に押し上げ、前はこうだったのに、と訴えた。
看護師は、痩せた時は専用のマッサージがあったりするって言うじゃない。とか、なんとか言いながら、私を様々な角度に向かせ、最後にかなり上を向いた角度を取らせ、
「うん。その角度だったら大丈夫」
と自分は納得したようだった。
こんな上を向いた状態で歩けるものか。
「あなた、もう時間じゃないの?
それが一番心配」
2、3回、そう繰り返し、盛んに私を上の病棟に戻そうとした。
私は看護師に、顔が少し良くなったら、良くなった!って言ってね。と頼んだ。
良くなりたかった。
たまたま、病棟に戻るエレベーター前で、作業員が大がかりな清掃作業をしていた。
少し迂回したら、エレベーター前に簡単に出られそうだった。
看護師は作業員に向かって、半ばイライラしたように、今、そこ通れないの?!と大きな声で言った。
この人らしくないな、なんでそんな言い方するんだろうと思った。
作業員が手を止め、大きな清浄機が止まった。
スペースが空くと、
「さ、行きなさい」
売って変わって、やさしく私を促した。
別にそこをちょっとまわればエレベーターに乗れるのに。
私は作業員が空けてくれたスペースを通り抜けながら、振り返って、看護師に手を振った。
看護師は、あわてて笑顔を見せ、私に手を振り返した。
エレベーター前に出て振り返ると、まだ看護師がこちらを見ていたので、私はまた手を振り、看護師は慌てた笑顔で振り返す。
3、4回そんなことを繰り返して、なんで今日は、お互いこんなに手を振ってるんだろうと、疑問に思った。
しかし、その時には、今回のことが後々、尾を引く重大事になるとは思っていなかった。