複雑性PTSD、うつ、過敏性腸症候群(IBS)のきらめき日記

生きにくさはあるけれど、キラキラしたものも見つけてやっていこうよ、自分の人生。鬱と過敏性腸症候群を抱えてます。

ハオルチア 6月

ベランダのハオルチアが今年も咲いた。

多肉植物の一種のハオルチアは、肉厚な葉を持ち、葉の先端は尖って鋭どい。

その葉が幾重にも重なり、トカゲの尻尾のような葉を、まるで花が咲くように広げる。

むくむく、ずっしりして、見かけはサボテンのようだが、なかなか獰猛にも見える。

その株から弦が出て、あれ?と思っているうちに、あっという間にぐんと一気に弦を伸ばす。

ずっしりした体躯に似合わぬ細い弦は40センチ近く。

伸びた弦の先端に、小さな細長い蕾が出来ている様は、まるで稲穂のようである。

白い蕾がうっすら色づいて、ラベンダーともピンクとも言い切れない色が、浮かび上がってくる。

微小な蕾は、本当に可愛いらしく、はかなげで愛しい。

植木鉢から溢れんばかりに成長したハオルチアは、幾つもの株が密集して盛り上がり、息苦しそうだ。

早めにもっと大きな鉢に植え替えて上げなければならない。

今年は五本の弦が伸びた。

一本の弦に5、6個の蕾をつけて、下の方から順に、ラッパが反り返ったような、小さな小さな花を咲かす。

この時季、弦を伸ばして花を咲かせるハオルチアを見ると、よく咲いてくれたね。と小さな生命に、感謝と感動を覚える。

ハオルチアは梅雨を告げる植物だ。

毎日ぼんやりと過ごす私に、

「梅雨が来たよ!もうすぐ夏が来るよ!」

と、教えてくれる。

だから私は、毎年この時季にハオルチアと交信している。

ハオルチアは寒い冬も越え、春にぐっと力を蓄え、梅雨に花を咲かす。

他肉植物はサボテンと同じように、あまり水を必要としない。

だからまだ寝込むことも多くて、頻繁に水をやれない私のもとでも、健やかに成長している。

私を毎年、勇気づけてくれる。

今年も、

咲いたよ!

と聴こえぬ声で、でもハッキリ、私に告げている。

普段と変わらぬ日常生活。しかし、この空間に私の他に生きている生命の存在がある。

か弱そうで儚くて、でもしっかり生きているハオルチアが愛しい。

六月だ。

梅雨の晴れ間は、どんな季節の晴れの日より清々しい。

9年前もそんな気持ちの良い日だった。

この時季、私は初めて先生に会ったのだ。

初夏。

サンドイッチ。

久しぶりの東京。

ビジネスホテルの朝食。

朝の日射し。

行き交う人々。

初めての街。

病院のロビー。

帰りのタクシー。

先生に出会った時のことは、そんなものたちと一緒に思い起こされる。

長い。

あるいは短い。

そんな9年だった。

私は変わった。

先生も変わったのかもしれない。

私達の9年。

その日が始まりだった。

 

 

 

 

 

ふと、

日常生活を送っている中で、父のことが頭によぎることがある。

そして、そんなことはないのだ。父は最近亡くなったのだ。

という現実に面食らう。

人はまず、亡くなった人にしてもらったことを思い描くのか。

思い出そうとしても、父にしてもらったことが何もない。

何もしてもらったことがない、とは本当だろうか?

何かをしてくれた父の姿を思い描くことは出来ない。

父は何もしてくれなかった。

改めてそう思う。

私が思い出せる父は、いつもよそを向いていて、私の方を見てくれたことはなかった。

子どもに無関心な勝手な父だった。

唯一思い出せるのは、クリスマスに必ずチョコレートを買ってきてくれたこと。

たぶん会社にチョコレートを売りにくる人がいて、クリスマスだから、という理由で、同僚達に混じって買ってきたのだろうと思う。

会社に売りにくる、と聞いたことがあったのかもしれない。

父がしてくれたことで思い出せるのは、そのことだけだ。

チョコレートを買ってきてくれた時でさえ、こちらを見てくれた記憶がない。

父が私を見ていない。

私の原風景である。

そんな父を、私は全く尊敬することなく育った。

むしろ反面教師にしていた。

ああはなりたくない、という強い思いは、今でも私を形作っていて、私が人と同じような幸せを、手に入れられない要因となっているのだろう。

そんな父でも、晩年はすっかり丸くなり、信じられないほど穏やかになった。

以前と違う父を見るにつけ、父がこんなに穏やかで寛容でさえあれば、私の人生は違うものになったろうと、

冷めた目で見る自分がいた。

父の車で通った道路が見える。

あの道を父と一緒に通ったのだ。

その父はもうこの世界にいない。

前屈みで、がに股で歩く男性を見かける時、とっさに父が歩いている、と錯覚する時、やはりそれは父ではないのだ。決して。

父が亡くなった?

人が亡くなるということはどういうことだろう。

ある人がついさっきまで、そこにいたのに、その肉体を置いていなくなってしまうこと。

持ち主のいなくなった肉体だけが、そこにあること。

もう戻ってこないこと。

腰が悪く前屈みで、がに股で歩いた父は、もうこの世界にはいない。

もう存在しないのだ。

私は父のことを悪く思ってはいない。

ただ私の人生で、父がいないことは、今まで一度もなかった。

 

土とアスファルト

私は苛立っている。

際限なく増え続けるアスファルトに。

この間、近所の駐車場で工事をしていた。

脇にある植え込みも取り払われ、ショベルカーを使って、以前からのアスファルトは引き剥がされている。

「またか…」

残念でたまらない。

最近、近くを歩いていると、至るところでショベルカーで地面を剥がしている。

民家の駐車場や、もともとは砂利にしていた駐車場で。

そして、しばらく経つと、新たなアスファルトで綺麗に地面をならしている。

地面が覆われている。

地面が塞がれている。

私は息が苦しくなる。

呼吸が出来ない思いがする。

子ども達が野球をしていた場所が、公園の片隅が。

次々と駐車場になっていく。

あ、駐車場になってる、と思ったら、もうぎっしり車が停まっている。

車が増え過ぎたのだ。

しかしなぜ、子どもの遊び場を駐車場にしてしまうんだろう。

子どものスペースがなくなっていく。

車が増えたから、車を停める場所が必要になった?

そんなのは大人の都合だ。

車を停める場所より、子どもの遊び場や、皆が憩う公園の方が大事やろ。

裸の土を埋めてまで、車置き場は必要ですか?

土地は活動的に使ってナンボ。

土地だって、車が上でじっとしているより、子ども達が遊び回ってくれた方が嬉しいはず。

公園が狭くなった。

そのうち、車に占領される。

アスファルトで綺麗に地面を覆って、それで満足?

綺麗にならしたアスファルトは美しい?

でこぼこした黒い土は現代人に嫌われて、歩きやすくした平坦な地面になっていく。

私は息苦しい。

昭和生まれだから。

地面が歩きにくい土だった頃を知っているから。

でこぼこして歩きにくくて、すぐ水溜まりができて、足元が汚れた。

そんなものだと思っていた。

私が高校生の昭和の終わり頃から、そんなぬかるんだ地面はアスファルトで塞がれ、すっかり歩きやすくなった。

キレイになった。歩きやすくなった。

皆、喜んだ。

私も綺麗になった。歩きやすくなって良かった。

と思った。

それから30年。

街に土がない。

全部アスファルトで覆われてしまった。

どこを歩いても平坦で、石につまづくこともない。

ぬかるみで足を汚すこともない。

歩きやすいキレイな街。

 

地面が息出来なくなっている。

本来の土に蓋がされ、土壌が呼吸出来ない。

そんな思いに駆られた。

 

地球が誕生した時から存在する土壌。

生命を生み、育み、その死も受けとめて、また命を生む。

私達の足元に確かにある地面。

みんな、ここから発生し、土に還っていくんだ。

永い地球の歴史の中で、現代ほどアスファルトに覆われたことなど、なかった。

 

土壌が息出来なくなっている。

ミミズも小さな微生物も、土の中にいるまま、蓋をされてしまった。

小さきもの達は今、どうしているだろう。

アスファルトで塞がれて、出て来れない。

その事実が、私を息苦しくする。

 

歩きやすいから。

整うから。

不便を便利に。

 

そんな身勝手な人間達に、自然界からそろそろ逆襲が来ている。

 

アスファルトの上をスギの花粉がコロコロ転がる。

以前は湿り気を帯びた土が吸着してくれたであろう、花粉は乾いたアスファルトを転がって、空気の流れで上に上がり、人の鼻腔をくすぐる。

 

夏の太陽の熱をアスファルトが抱えこんで、夜になっても気温が下がらない。

毎年、猛暑日の記録を更新し、日本が熱帯になっていく。

 

そんなに車の置き場所が必要だろうか。

車から発生する熱や物質も、私達を脅かしていく。

 

アスファルトがなくなって、息苦しいのは私だけじゃない。

皆、土に触れたい、とガーデニングを始めたりしている。

土は買う時代なのだ。

以前は足元を掘れば、ざくざく豊潤な土が出てきた。

微生物がたくさんいて、ミミズが良質にしてくれた土。

 

今、私は土が恋しい。

アスファルトでは息が出来ない。

 

そういう人は他にいませんか?

 

ネットのこれから

まだまだ調子は悪く、この数日寝込んでいた。

だいぶ良くなったとは言え、度々、瀕死状態になる。

ゼリー飲料で二日乗りきった。

そんな時、支えになってくれるのは、やはり先生だ。

わかってくれる人が一人でもいてくれるだけで、どれほど心強いものか。

 

最近はブログの世界にも救われている。

うつがひどい頃から書いているファッション系のブログで、よく知っているフォロワーさん達とコメントのやり取りをしたり、一年ぶりにブログで近況報国したら、フォロワーさんが増えたり。

きっと励ましてくれているんだ、と思って嬉しい。

 

こちらのブログでも久しぶりに書き始め、また楽しみが増えた。

誰かが読んでくれる、ということが嬉しく、励まされる。

 

何年も前、具合が悪かった時に失ったものも多いけど、今、全く新しいものが私の周辺にある。

 

ブログの世界は不思議だ。

今まで知らなかった未知の人と出会い、支えあっていくことができる。

ネットの世界。

本当ではないんでしょ?

と言う人もいるかもしれない。

昭和の時代には考えられなかった、新しいカタチの、人と人との交流が確かにある。

相手の目を見て、頷いて、呼吸を合わせて。

というコミュニケーションと、ネットの画面のコミュニケーション。

 

二つのコミュニケーションの間には、宇宙空間ほどの距離があるかもしれない。

それでも、その空間を飛び越えるネットという世界。

そこには、数多の人間ドラマ、一人一人の息づかいが確かに存在し、私達はつぶさにそれを感じ取ることが出来る。

 

子どもの虐待事件や、引きこもりの人の抱える問題などで山積みの現代社会。

これからはもっと、ネットが果たす役割が増えていくことだろう。

ネットでなければ果たせない、いわば匿名の、名もなき思いを掬い取ることも可能なはずだ。

 

先生や友だちには言えないけれど、ネットには書ける。

その人の困っている問題に対応出来る所が、ピンポイントで見つかる。

知らないから伝えられる。

知らない所と繋がる。

そんなネットの力がいかんなく発揮される時代がくる。

 

15才で引きこもって学校に行けず、誰にも話すことも、助けてもらうことも出来なかった自らを省みて、そんな社会や時代がくることを切に願う。

お母さんの部屋

誰でも

「お母さんの部屋」を持っている。

生まれた時から、その部屋には「お母さん」がいる。

おっぱいをくれて、抱きしめてくれて、笑顔で自分を愛してくれる。

赤ちゃんには理想もないから、そのままその人を受け入れる。

生まれた時に初めて目にするのが、自分の「お母さん」。

愛情を無尽蔵に与えてくれる。

これからずっと頼りにして、自分を決して裏切らないで、正しい方向に導いてくれる。

誰にとっても必要な存在。

だから「お母さんの部屋」には必ず、初めて目にした、おっぱいをくれて微笑みかけてくれたお母さんがいる。

誰にも必ずだ。

その存在を赤ちゃんは忘れることはないし、ずっと信じ続ける。

もしそのあと、その人がいなくなってしまっても、「お母さんの部屋」は存在する。

ただ、部屋の中にはお母さんがいなくて、がらんどうになってしまう。

がらんどうになってしまった部屋を持ち続ける人もいるだろう。

それはとても空虚で、冷たい風が吹き抜ける。

そんな部屋を持つ人は、自分の心にも風が吹き抜けているかもしれない。

そんな人もいる。

だから人は「お母さんの部屋」に入ってくれる誰かを探そうとする。

 

私にはずっと母がいる。

「お母さんの部屋」には私の母が入っていて、そこは温かく、愛情で満ちていると思っていた。

だから私には「お母さんの部屋」の不満は何もない。

と思っていた。

 

 

電話

小学生の頃。

よく

こんなことを考えた。

放課後。一人で家にいる時。

一本の電話がかかってくる。

電話機越しに聞こえる声の主は、品の良い女性で、今から車を寄こして私を迎えにくる、と言う。

その人は、私の実の母親で、私は迎えに来た車に乗って、ドラえもんに出てくるしずかちゃんの家に似た白い家に向かうのだ。

私は本当はこの家の子ではないのだ。

やっぱり。

と思う。

やっぱり私はこの家の子ではなくて、別の家の子なのだ。

本当の母親が迎えに来てくれて、私は本当の家に帰る。

その後は想像していなかった。

ただ、別に家族がいること。

この家は私の住む家ではないこと。

そう夢想することが、度々あった。

私は放課後、いつも家に一人でいることが多かったので、一本の電話がかかってきて、それを私が受けるという可能性は充分あった。

しかし、そんな電話は結局かかるわけもなく、すっかり忘れてしまっていた。

最近、そんな想像を小学生の頃していたなぁ、と思い出した。

その頃はなぜそんなことを想像していたのか、わからなかった。

一人でいて、家でお話を書いたりするのが好きな小学生だったので、普段とは違う想像をするのも楽しかったのかもしれない。

と思ったりしていた。

そんな夢想をすることに意味がある、とは最近まで思ったことがなかった。

 

新緑のコンビニで

いい天気。

家にいるのはもったいない。

最近、ほとんど外に出ていないので、体力づくりもかねて少し歩きたい。

外に踏み出すと、わっと熱気に包まれる。

何これ。

暑いやん。

インナーの上に長袖のシャツ、しかも羽織まで着て出たのに、見込みが外れた。

あわてて羽織を脱いで、腰に巻く。

こんなに暑く、いつなった?

テレビがないから情報が何もない。

知らなかった。こんなに暑くなっているとは。

歩き出すと、緑が眩しい。

いちょうの葉の綺麗な緑がみずみずしい。

気持ちいい。

歩くつもりでスニーカーを履いてきたので、新緑と、眩しい日射しと風の中、ゆっくり歩きたい。

立ち寄ったコンビニでドリンクを買い、高台の方に歩き出す。

ひさしぶりのこのルート。

普段はお散歩コースだが、しばらくぶりなので、なんだか懐かしい。

やばい。

はやくも疲れてきた。

上りの坂道がけっこうきつい。

この間、先生の所に行ってきた後、数日疲れが取れなかったことを思い出す。

少し加減して歩こう。

大回りしてスーパーに行こうと思っていたが、すぐ挫折。

この間から、少し良くなったばかりなのだ。

身のほどを知ろう。無茶はいけない。

東京の先生の所に行った時より、少し多めに歩ければ良い。

先生の病院は、電車の乗り換えに歩くくらいで、ほとんど歩かなくていいところが有難い。

この間は患者さんがかなり待合室で待っていて、挨拶もそこそこ、先生に、今日はあまり時間が取れないから、と言われた。

体調悪すぎ。

先生の前でうなだれて、ろくに声も出ない。

え?なに?もう少し大きい声で言って。

先生が身を乗り出して、手を耳にあてがっていた。

お薬の話をして、すぐ帰る。

体調が悪い中、一心不乱で東京まで往復したので、あまり実感がないくらいだ。

今日、外に出かけられたことに感謝。

いい風、いい天気。

私の五月。

コンビニに戻って、イートインでゆっくりアイスコーヒーを飲む。

アイスコーヒーが美味しい季節になった。

家では最近、いつもアイスコーヒーを飲んでいる。

今は、インスタントコーヒーに牛乳を入れて飲んでいるが、夏本番となったら、コーヒー豆を買ってきて、自分で淹れたい。

去年は水出しコーヒーにしていたが、うーん。旨味とコクがイマイチ出ない。

水出しコーヒー用のボトルまで買ってしまったのに、残念だ。

一年のうち3分の2は、美味しいアイスコーヒーをいかに簡単に淹れるか、について考えて過ごしている。

イートインって随分、普及したなぁ。

コンビニがここまで進化するなんて。

ちょっとしたカフェ気分。

以前はコンビニに入って、

「トイレ貸して下さい」と言うと、平気で「ありません」と言う店もかなりあったのに、イートインあります。どうぞごゆっくり。

になった。

時代は変わるもんだ。

私は立ち上がり、買った品物の入った袋を提げて、外に出る。

後ろから店員さんの

「ありがとうございました」

と言う声が聞こえる。

並木道を大きな袋を提げて歩くと、前方から来た親子らしい二人の女性とすれ違った。

母と娘。

娘は二十代始めくらい。

話しながら歩いている。

大きな袋を少し左によけた私と、やや右手に寄った若い女性。

私も、母と娘、の時があった。

私もああやって、母と二人で話しながら道を歩くことがよくあったのだ。

ありすぎるほど。

あの親子もいつか離れて、なんであんなに仲良くやっていたんだろう。と疑問に思う時がくるだろうか。

母と娘の関係はいつも、危うい。